315.ていねいに生活する

315.ていねいに生活する

「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 新聞の投稿欄に、「丁寧に生活する」というようなタイトルの本を見つけた、という内容のお話が載っていました。だから、丁寧に料理をし、丁寧に掃除をし・・・というようなことを書いておられました。投稿された方も、その見かけた本についてはうろ覚えだったようですが、この記事を読んだ私もこの記事についてうろ覚えのまま今、書いています。ですから、内容が正確であるかどうかは自信がありません。

 しかし、「ていねいに生活する」というのはとても良いですね。とても、魅力を感じます。いつも時間や追われ、いつもあくせくしている。楽しいどころか、必死で追いかけてようやく追いつくか、いくらやっても追いつかないような生活。そんな生活のくり返しでは、どこかで疲れて続かなくなってしまいます。

 朝の生活もゆっくりと、落ち着いてていねいに行いましょう。歯みがきも、着替えも、食事も・・・。

 出かけるときも、ゆっくりとていねいに、靴をはき、鏡を見て身だしなみを整えて、忘れ物がないか確認をして、ていねいに出かけましょう。

 職場や学校では、そんなていねいなことが許されないとしたら、一応テンポを周りに合わせて行動し、家に帰ったら、またゆっくりていねいに過ごしましょう。

 うがい、手洗い、ゆっくりていねいに行いましょう。おやつ、ゆっくり楽しく味わって食べましょう。

 勉強、ゆっくりていねいに適度な量を学習しましょう。あわてなければ、結構ていねいな字で、逆に結構な量の学習がはかどります。

 これなんです。いつも慌てていることが、学習の妨げとなっています。せかされなければ、また自らもあせってイライラしなければ、出来るのです。自分の出来るところから、少しずつていねいに学習していけば、分かるのです。

 しかし、このゆっくりていねいに、がなかなか出来ないのが現実です。どこかで、生活の仕切り直しをしましょう。土曜日か、日曜日、なるべく時間の拘束のない日が良いでしょう。ゆっくりていねいに日曜日をすごせれば、月曜日をゆっくりていねいに迎えることが出来るかもしれません。

 ゆっくりていねいに、いいことばですね。お母さん方、まず家事をゆっくりていねいに行ってみましょう。そうしたら、学校から帰ってくるお子さんをゆっくりていねいに迎えることが出来るでしょう。

 今朝のブログも、ゆっくりていねいに書きました。だから、とても楽です。コーヒーを飲む時間くらい、逆にゆっくりとれそうです。

 せわしい毎日、ゆっくりていねいに、がいつまで続けられるか分かりませんが、できるかぎり続けてみましょう。やがて、せわしい「いつも」に戻ってしまったら、またどこかで仕切りなおして、ゆっくりていねいに、に切りかえましょう。では、ゆっくりていねいに・・・。

 
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314.母子分離不安

314.母子分離不安

「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 先週末は、「人見知り」について考えてみました。「人見知り」は、母親と赤ちゃんとのしっかりした二者の関係が形成された証です。第三者によってその関係が崩される時に赤ちゃんは不安を覚えて、他者から目をそらしたり、母親にギュっとしがみついたり、ワッと泣き出したりします。それが「人見知り」です。そんな状況から、赤ちゃんが第三者を受け入れ世界を広げていくことが出来るのは、信頼できる母親の後ろ盾があってこそです。

 母子分離不安についても同様のことが言えます。母子分離は、お子さんがお母さんに支えられてこそ乗り越えていかれる課題です。

 何らかの状況で、基本的信頼関係(母子の二者関係)が確立していなかったり、いったん形成されていても何らかの事情でその関係が不安定になっていたり、またこれから立ち向かおうとする対象(入園だったり、新しいお稽古事であったり、お留守番であったり、初めての人であったり・・・)が、その子どもにとって乗り越えるには大きすぎる存在であったりするときに、母子分離不安は起こります。

 その時に必要なのは、叱ったり、励ましたりすることではありません。また、お母さんがこれまでの子育てに問題があったのかと悩むことでもありません。状況に即して、母子分離できるように支え、共に乗り越えていってあげることです。

 では、具体的にはどうしたらよいでしょうか?

・まずは、お母さんが不安にならないことです。と言われても難しいかもしれませんが、自分にも、お子さんにも「だいじょうぶ」と言ってあげましょう。

・就園やお稽古ごとの開始のように、時期が予測できるものであれば、少しずつ準備していきましょう。
 言っても分からないだろうと決めつけるのではなく、「春から幼稚園に行くのよ、楽しみね」「こんどから、○○へ行くのよ、楽しみね」と折に触れ楽しそうに予告していくことです。可能であれば、幼稚園などに足を運んでどんなところか見せてあげましょう。

・就園に際しては、園側でも慣らし保育の期間を設けるでしょうが、ご家庭でも一人で過ごす場や時間を短時間ずつ体験させていきましょう。
 母親の姿が見えない部屋での一人遊び・お父さんとの外出・お父さんとのお留守番・同居ではないおばあちゃんとのお出かけ・おばあちゃんとのお留守番・・・など。

・既に就園され、毎朝泣いているようでしたら、帰宅したときに充分に身体的接触をもって気持ちを充足してあげましょう。
 甘やかしすぎ?、というような心配は要りません。甘やかしすぎるくらいで、結構です。「ひとりでがんばってるね」とか「あしたは、泣かないで行けるよね」というような言葉かけも不要です。朝の不安と翌日への心配をかえって増長するようなものですから。

・お稽古ごとなどで、母子分離の猶予が可能な状況であれば(当教室もそうですが)、無理やりに引き離さないことです。
 「今日はひとりでやるのよ」ではなく、「ママもいっしょに行こうかな?」くらいの言葉がけをしてあげた方が、結果的には早く母子分離できます。子どもが「離れたくない、離れたくない」と言っているときに、親御さんの方が「離そう、離そう」とすると、子どもはいっそう離れなくなってしまうものです。

 不安がなくなったら、または不安より楽しさの方が勝っていたら、またお母さんとの関係に充分満足したら、お子さんは自ら離れていきます。こちらの教室でも、その時間は、お母さんの存在を忘れてしまうくらい魅力的な授業にしていきたいと日頃から思っています。

 教室で、お母さん以外の他者(講師)を信頼し、コミュニケーションを楽しめるようになることは、母子分離トレーニングから始まり、他者との関係性を広げ育む良い機会ともなっています。

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313.人見知り

313.人見知り

「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 今日の教室ブログは、「母子分離」のお話です。その前にここでは、「人見知り」ついて考えてみましょう。「人見知り」も「母子分離不安」もお母さんがお子さんと共に越えていってあげるべき、大切な課題だからです。

 子どもは、母親への強い愛着があって育ちます。母親との身体的、心理的関わりによって、生涯にわたって人間関係の基礎となる「信頼」を獲得します。母親と肌で接する幼児期は、この「信頼」を育てる上でとても大切なステージです。

 生後数ヶ月から1歳くらいで訪れる「人見知り」は、そんな関係の中で幼児が五感を総動員して母親を認知・認識した証です。母親以外の人の出現によって、自分の認知・認識した母親との安定感、自己と母親という二人で完結している世界が破られたときに起きるものです。母子関係が希薄だったり、発達障害など何らかの条件で母親の認知・認識が確立しにくいときには、「人見知り」は起きません。母親であろうと誰であろうと、見境がないからです。

 「初めての信頼できる他者」である母親への認識があってこそ、「人見知り」は起きるものです。ですから、「人見知り」は母親として誇りに思っていいのです。「人見知り」をさせないのではなく、むしろ「人見知り」をしたときにどうしてあげるかが大切なのです。

 大好きな母親に抱かれながら、またやさしい言葉がけをされながら、幼児は母親以外の他者を知っていきます。安心できる母親の腕の中で守られていてこそ、初めての他者、新しい他者に興味を示し、自己の世界を少しずつ広げていくことが出来るのです。

 初めての人との恐怖を、「大丈夫よ」とやさしくことばがけしながら越えさせていってあげましょう。母親と密着している安心な状況であれば、幼児は新しい他者にまず視線を向けることができます。しだいに手を伸ばし、やがては抱かれることも出来るようになります。こうして、幼児の世界は少しずつ広がっていくのです。

 突然なじみのないおばあちゃんに預けられて、「じゃあ、ママ行ってくるわね。バイバイ」と母親がいなくなってしまっては、幼児が泣き叫んでも当然です。まさに、引き裂かれるような思いでしょう。

 母子分離にも同様のことが言えます。(つづく)

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312.好きこそものの・・・(2)

312.好きこそものの・・・(2)

「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

(つづき)ここでこんなお話をするのは、先日土曜日の授業で、そんなことを改めて認識したからです。

 教室の一人の生徒さん、長年気に入っているアニメがあります。アニメの中のせりふを諳んじてしまうほどです。今ではそのアニメを話題にすることによって、時に不安定になった心理状態を回復させたり、気持ちを切り替えたりすることも出来ます。また、アニメの主人公への感情の移入によって、自らの感情も育まれていっているです。

 今、授業では「人物」をテーマに絵画に取りくみ、粘土では「女の子」を作っています。自分自身を作るつもりで取りかかったのですが、形を作っている間に、その生徒さんの中でその女の子は大好きなアニメの主人公になっていっていきました。

 主人公の名前を口にし、「かわいい」と言いながら制作しています。それも、こちらに話しかけ、同意を得ようとしているような言い方です。ですからこちらも、「ほんと、かわいいわね」と自然に応えます。

 オーム返しがあったり、脈絡のない言葉が飛び出すような傾向のある生徒さんですが、この「かわいい」は自分の気持ちや意を言葉として発しているものです。イントネーションや表情から、それがわかります。粘土成形しながら「りぼん」「赤」と、さらに自分の意向を表現して伝えてきます。髪の毛には、赤いリボンもつけよう、ということです。

 ならば、その主人公を描いてみようと、大きな画用紙での絵画にも取り掛かかりました。絵画でもやはり、「○○ちゃん」と主人公の名前を言いながら。まず、顔のまるをていねいに描きました。首、からだ、手足、顔の部位、といつになくゆっくり(適度なテンポで)納得しながら描いていきました。

 この生徒さん、クレヨンで描いたり、絵の具で塗ることは幼児の頃から好きでした。「うさぎ」「ねこちゃん」「りんご」・・・と描くものへの興味もありましたが、それよりは、クレヨンでとにかく描く、筆を動かしたら色がついた、一部の隙間が出来ることも許さず、完璧に塗りつくす、それが出来上がったら満足するといった傾向のほうが強かったように思います。

 線があれば、とにかくなぞる。テキストの問題文までなぞってしまうほどです。とにかく、「線・形・文字」=「なぞる」、というように反応してしまうのです。

 ところが、その日の描画は違っていました。「大好きな○○を描く」「○○を描くことがうれしい」といった描きようだったのです。「課題にはしっかり取り組む」という生真面目な表情ではなく、本当に心が動き、心の動きが描画となっているといった感じです。

 中等部に進級して、学校での生活も穏やかに行われているのでしょう、これまでの学習の積み重ねなどちょうど良い状況や条件が相俟って、今何かが変わりだしたようです。

 好きこそものの・・・、この大好きなアニメがそのきっかけとなっていることは
まちがいありません。本人の好きなものをご家庭はじめ、周りの方々が大切にしてきてあげたからこその、成長です。

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311.好きこそものの・・・

311.好きこそものの・・・

「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 「好きこそものの上手なれ」という言葉がありますが、特殊教育においてはまさにこのことを実感する場面が多いのです。

 「好きなことしかやらない」とか、「自分勝手」とか、「わがまま」というのではなく、気持ちがふっと向いたもののにしか、知的な機能を働かせにくい、というところが発達障害の生徒さんにはあります。発達段階によっては、与えた情報や働きかけが伝わらずに、目の前をさっと通過してしまうような状況も常なのです。

 呼んでも返事をしない、振り向かない、というのも一例です。が、それは、決して無視しているのでも人嫌いなのでもなく、情報が情報として認識されていないのです。一見「自分勝手」に見える行動や対応も、実は本人の意を越えたものなのです。つまり無視する以前に、呼ばれているということ自体に心が反応していないのです。

 しかし、日々の人との交わりや学習の積み重ね、また日常の行動や運動によって、情報化の機能は徐々に増し、対応の幅が広がり、柔軟性が出てきます。その中でも、この「固執」が、脳の機能を育む大きな契機となっているということが大いにあるのです。ですから、そのプロセスにおいては、「固執」とも見えるような「好きなものへの集中」にも上手に付き合ってあげましょう。

 電車、アニメ、お気に入りの絵、はさみで切る、物を並べる、コレクション・・・、「またそれぇ?!」と思ってしまうこともあるでしょうが、その好みの世界を一緒に楽しんであげましょう。

 ここでこんなお話をするのは、先日土曜日の授業で、そんなことを改めて認識するようなことがあったからなのです。(つづく)

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310.料理を楽しむ

310.料理を楽しむ

「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 きのうは、祝日・体育の日でした。秋日和の連休を楽しまれたことと思います。

 教室に、「祝日は、わたしが料理をすることに決めています!」という生徒さんがいます。社会人になられてからでしょうか、もう何年か続いているようです。年に何回か、多からず少なからず、家族のために何かを行う、とても良い決まりごとですね。

 この体育の日のメニューは、「しょうが焼き・えのきとジャガイモのお味噌汁」だそうです。メニューの選択や調理には高等部での経験も役立っているようです。家族への配慮もあります、「柔らかいものでないとダメなんです。お父さんの歯が悪くなってしまって、痛くなってしまうからです」とのことでした。

 前もって授業で、このメニューの材料と分量を表にまとめてみました。さすがに経験を積んでいるので、材料は次々に思い浮かんできます。
「豚肉、それと野菜、レタスかキャベツとトマト!レタスがなかったら、キャベツにします!えのき、ジャガイモ、それからねぎです!味噌汁にはねぎ、これを忘れないで下さい!」、とても張り切っています。

 ですが調味料や分量になると、
「しょうが焼きのお味は、何でつけるの?」
「お味?しょうが焼きのお味?・・・お母さんに聞いてみます!」

「お味噌汁のおだしはどうやってとるの?」
「だし?・・・あっ、お湯をわかしてお母さんが袋をひとつ入れます!」

 家族の人数に合わせて、分量を表に記入していくことにしました。
「お肉は?」「・・・?」「200gから300gくらいね」
「レタスは?」「・・・?」「大きかったら、2、3枚ね」
「トマトは?」「6個」・・・「6切れ?ならば、1個か2個、ね」
「しょうがは?」「・・・?」「ひとかけ」「ひとかけって、何ですか?」
「えのきは?」「・・・?」「1パック」「1パック!」
「お味噌は?」「・・・?」「大さじ2杯くらい?」「大さじ、2杯!」
「おねぎは?」「・・・?」「少々」「少々!」

 単位もいろいろであれば、実にあいまいな表現が多いことにも気づきます。料理には、まさに見当と臨機応変が要求されます。

 どちらかと言うと、電車の運賃のようにカチッと決まった数が好きなタイプの生徒さんですが、楽しい料理では、こんなあいまいな数にも対応できそうです。また、「ひとかけ」「少々」、時によっては「お好みで」というますますあいまいな言葉にもじきに馴染んでいくことができるでしょう。

 かつて文章題で「足すのか・引くのか」に多少努力した生徒さんですが、料理は生きた数、相対的な数の経験としての絶好の場ですね。
 

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309.会話を楽しむ

309.会話を楽しむ

「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 特殊教育において、知的段階は年齢によって区切ることは出来ませんが、講師と生徒さんの人と人としての関わり方、在りようは年齢とともに変化してきます。年齢的に長じてくるにしたがって、講師と生徒というよりも、同じ生活者として、時に日常的な会話を楽しむことが出来ます。

 毎週生徒さんと会うときに、感覚的に把握しておきたいのは、「身体的にも、心理的にも今週も元気に生活しているかな」ということです。挨拶の仕方、表情、視線、学習への取り組み方などから、自ずと把握します。さらに、日常の様子が伝わってくるのは、授業の合間の何気ない会話からです。

 今日は、成人期にある生徒さんと会話のお話です。
 お金の学習で、値段のついた食材のカードを教材にしました。「何百何十何円の品物を買うのには、何百円出せば良いか」という課題です。まず、カードを一つ一つに切ります。それを講師がやり始めると、「やろうか?」と言って、生徒さんが講師の代わりに進んで切り始めました。

「全部やってもらったら悪いから、先生も切るわね」とことばを挟むと、「いいよ、お互いさまだから」とのこと・・・職場でも、こんなことばが行き来しているのかな、と職場の様子や職場での人関係が垣間見られるような気がしました。

 毎週習慣のように「先生、お昼は?」とその日の昼食が何だったかを尋ねてきます。こちらも、同じように生徒さんに尋ねます。
「○○ちゃん、お昼は?」「キャベツとあら挽ウインナのスパゲッティ」・・・しゃれていますね。食を楽しんでいるのがわかります。

 ちょうど教材カードに「ほうれん草」が出てきたので、
「ほうれん草はなにに使う?」とこちらから尋ねると、
「ほうれん草とベーコンのソテエ!」・・・これもしゃれていますね。
 
「油揚げは?」「味噌汁。あっ、納豆入れて。私は、食べないけど。プリン体ですから」・・・油揚げに納豆を入れてあぶるのだそうです(後でお母さま談)。健康に配慮しているのですね。ちなみに、黒酢も飲んでいるとのこと。

「たこは?」「キムチと。お母さんが、お父さんのおつまみに。」
「お父さん、幸せね」「幸せは、ももちゃん(ねこ)。ももちゃんは、マグロがあると幸せ」

「大根は?」「大根おろし。秋刀魚とね。秋刀魚、ダンスの会の○○さんにもらったから」・・・食卓はもちろん、余暇の活動や人間関係まで見えてきます。こちらまで、おいしく、幸せな気持ちになってきます。

 生き生きとした生活あってこその「学習」です。また逆に、毎週の授業が生活を活性化する契機ともなり得るよう、毎回毎回、そんな授業を作り上げて生きたいと思って取り組んでいます。

 
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308.台風ー命の危機

308.台風ー命の危機

「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 きのう昼前から、関東地方では台風一過の青空が広がっていました。一掃されて塵ひとつない青空には光るような雲がダイナミックに広がり、まるで描かれているかのようでした。

 が、帰宅して夕刊を見ると、「10年に1度の大型台風」と予報されてはいましたが、大雨、強風、竜巻、家屋の倒壊、土砂崩れ、浸水、交通の混乱・・・、と多くの被害が報じられていました。

 小中学校などの休校は約1万2700校以上に及んだそうですが、ただ「学校がお休みになった」とそれだけでなく、親御さんの言葉を通して、台風の惨状をお子さんに知らせることは大切です。お父さんからの通勤時の交通網の麻痺の話には、実感を持って耳を傾けることができるでしょう。

 新聞も一緒に開いてみましょう。
「壁や屋根が吹き飛んだ建物(茨城県龍ヶ崎市)」や「国道で横転した大型トラック(愛知県豊橋市)」、「ダイヤが乱れて混雑するJR新宿駅」の写真。

 大好きなトラックも、台風でこんなふうになってしまうんだ、といつもとは
異なる思いを持つことでしょう。電車に乗ったり、電車を見に行ったりする楽しい駅にも、いつもとは異なる空気の流れを感じることでしょう。

 被害にあった方々の言葉も、「大変だったね」と共感をもって読んで聞かせてあげましょう。

 必要以上に恐怖心を持たせることはありませんが、やはりこのような機会に自然の脅威や命の危機を伝えることは大切なことです。お子さんが受け止められる範囲で、親御さんの言葉を通して伝えてあげましょう。

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307.療育はつづく

307.療育はつづく

「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 今日午前中は、台風による大雨、多くの学校では休校のようですね。

 さて昨夕は、17年間余りにわたって造形リトミック研究所で療育に携わった講師の歓送会を行いました。17年間といえば、当初幼児だった生徒さんが成人され、仕事に就くまでに成長されています。

 こちらの研究所では、0才が27~28才へと、1才がはたちへと、幼児が小6・中学生・成人へと、小1が高校生・成人へと、小学校低学年生が30数才へと・・・という例が各教室に少なくないのです。

 各年代には、各年代の療育課題があります。発達課題から認知課題へ、認知課題から教科前課題へ、教科前課題から教科課題へ、教科課題から作業課題へ、作業課題から社会参加課題へ、社会参加課題から生活充実課題へ、生の展開・探求から受容へ・・・、最終的には講師も、失礼ながら親御さんもまだ到達していない段階への学びへと続いていきます。

 各段階の学習は、まさに虹の色が徐々に混ざり合いながら変化していくように、重なりながら、時には戻ったり、また大きく前進したりしながら変容していきます。講師は、あせらず、またひとつ段階に安住して停滞しないように留意しながら、療育を進めていきます。

 療育、もしくは特殊教育(といっても良いかもしれません)、特殊教育は、生き方の舵取りのうえに成立します。言語学習も文字学習も数学習も、・・・すべての学習は、その子が、その人が生きるために必要な形で提供され、展開されます。

 特殊教育としての言語学習は、通常の語学学習とは異なり、必ずしもテキストの1ページから始めるわけではありません。ページを大きく飛ばすこともあれば、テキストの後ろの方から始めることもあります。言語学習は、生きる上での表現やコミュニケーションの手段となるように、表情、仕草、サイン、カード、文字・・・あらゆる方法を試みて進めていきます。

 文字学習も然りです。ひらがながいつも漢字より優先されるわけでもなければ、筆順や巧緻性が必ずしも優先されるわけではありません。文字は情報の獲得手段であり、表現手段であります。その子、その人にとって有効であるように学習を展開させていきます。

 数学習も然りです。1から10までの数の概念化が不十分でも、100円、1000円というお金を扱っていきます。10.000円くらいまで扱うことによって、1から10まで、1から100まで、そして数の仕組み自体が獲得できることがあるのです。
 1から10までの数の理解が不十分だからといってそこで足踏みしていると、それ以上進むことは往々にして困難です。不十分でも次に進むことによって、その前の学習が可能となることがあるのです。

 そこに特殊教育の醍醐味があります。特殊教育はまさにその子(その人)が生きるための学習です。学習プログラムを停滞させることなく推し進めていくと、生徒さんは生き生きとしてきます。そして、学習が長続きします。次から次に課題や興味が発生してくるからです。

 活性化された生は、刻々と学習課題を提供してくれます。そのメッセージを聞き逃すことなく、見逃すことなく、生徒さんに思いをかけ、関心を持って療育に当たっていくのが講師の役割です。

 先輩の講師の経験を引き継ぎ、次の療育をさらに進めていきたいと思います。新しい生の形がある限り、特殊教育も変容し、つづいていきます。
 

 
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306.月齢カレンダー

306.月齢カレンダー

「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 秋の長雨、中秋の月の美しい時節なのに、なかなか月に出会えません。せめてもと、新聞の月暦を切って貼り始めてみました。10月1日、月齢12.3の月から、今日7日、月齢18.3の月まで。

 月齢12.3、13.3、14.3、15.3、16.3、17.3、18.3、と並べて貼った月の絵はデジタル変化であるのに、目には月がだんだんと満ちていき、だんだんと欠けていくかのように、アナログ的に見えます。だんだんと膨らみ、満月へと向かうさまを見ていると気持ちも惹きつけられるように膨らみ・・・月齢15.3の満月は実に美しい形です。

 と、次の日からはもうだんだんと月は欠け始めていきます。日に、日に、欠けていきます。やがて、半月に、そして、三日月、新月に。そして、そこからはまた、三日月、半月をへて、満月へと向かいます。

 波がゆっくりと、本当にゆっくりと押しては返すように、月の変化が、新月から満月、満月から新月へと、ゆっくりとくり返されます。なんとも心地よい時の流れですね。

 教室では今、「お月見」の歌が流れています。お供え団子、秋の実り、すすき、・・・日本の伝統的な月への風流を歌はいっそうかもし出してくれます。

 みなさんも、よろしかったら月暦を貼り合わせてみてください。とても感覚的な作業で、思いのほか、楽しめます。教室の生徒さんは、月暦の出ている新聞の半ページを毎日切って集めて、1週間分を教室に持ってきてくださいね。月の絵を一緒に切り取って貼り合せてみましょう。月齢カレンダーができます。

 では、待っていますね・・・。

 

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