325.たくさんのSくんへ

325.たくさんのSくんへ

「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 きのうのSくんのようなお子さんがたくさんいらっしゃると思います。Sくんのようなお子さん、つまりこれからの学習への向かわせ方によって、学習が好きになれそうなお子さんです。

 学習の導入で初めに躓いてしまうと、学習に苦手意識を持たせてしまうことがあります。それをそのまま押し切って学習を続けさせたり、さらに頑張らせてエスカレートさせてしまうと、なかなか回復しにくい”学習嫌い”になってしまいます。

 でも、絵や工作など何でもいいのです、好きなもので机に向かわせ、それに一緒に取り組んであげると、もう一度学習に向かうきっかけを作ってあげることが出来ます。

 その好きなものに取り組んでいるときに、お母さんならお母さんといい関係を作っていくことが大切です。「お母さんと、一緒に何かをするのは楽しいな」という、関係です。ですから、「早く勉強の方に・・・」とあせらずに、お母さんも心から一緒にお子さんと楽しみましょう。

 2年生ならば、これからのほぼ半年の取り組み方によっては、3年生からは学校の学習のペースに少しずつ合わせていくことも不可能ではありません。普通学級を希望していながら、少々勉強嫌いで困っている方、そろそろ勉強をあきらめ気味の方、ここでもう一度学習に取り組みなおしましょう。

 かといって、来春に向かって猛勉強をさせようというわけではありません。まず、好きなことから机に向かわせます。それから、ゆっくり、ていねいに、出来ているところから学習にとりくんでいきましょう、ということです。

 親御さんももう一度目標をはっきりと意識なさり、1日に短時間でもいいですから規則正しくお子さんとの学習の時間を持ちましょう。そして、叱らずに楽しく学習を進めていくことです。

 ”ゆっくり、ていねいに”、春に向かっていい半年が過ごせるといいですね。

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324.小学校2年生(普通学級)のSくんへ

324.小学校2年生(普通学級)のSくんへ

「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 お教室に来られて数ヶ月。少々お勉強には苦手意識を持っているようですが、絵画や工作には相当な集中力。独創性もあって、いつも面白い作品が出来るんです、と担当の先生からも聞いています。玄関に飾ってあった粘土工作の昆虫は、Sくんの作品ですか?重量感もあって、迫力ですね!

 そんなSくんには、お勉強も楽しくがんばれる可能性がとっても大きいと思います。Sくんの作品をとってもほめてくれるご両親と一緒に取り組めば、お勉強もきっと好きになることでしょう。

 国語の教科書を使って、読むことと書くこと。算数の足し算と引き算。20まで数えることが出来ているのですから、足し算はいくつの足し算だってできます。引き算だって、10の中の引き算まで出来ていれば、あと補数の勉強をすれば、いくつの引き算だって出来ます。でも、まずは2桁の足し算と引き算を「かんたん!」と思えるくらい練習しちゃいましょう。

 「補数ってなに?!」・・・「補数は合わせて10になる数」です。数カードを見ながら、歌で覚えちゃいましょう。

 歌と言えば、かけ算も歌で覚えましょう。教室では、パソコンで「かけ算ってなにか」を先生と目で見て、感得・体得のトレーニングを毎週していきましょう。歌で覚えた九九とパソコンの映像がSくんの中で合致すれば、かけ算の文章題だって、「あっ、そうだ!」ってわかるようになりますよ。

 Sくんが3年生になるまでの5ヶ月間、こんな目標をもって「お勉強大好き計画」を立てて取り組んでいきましょう。ご両親と、大好きなお教室の先生と、いっしょに取り組んでいけばだいじょうぶ!

 これからクリスマスがきて、お正月が来るのに来年の春の話なんて早すぎる、と思うかもしれませんね。でも、私はいつも少し先を見ています。桜が咲くころのSくんのことを想像するとわくわくしてきます。

 絵画や工作の力がお勉強の力にも変わっていった先輩がたくさんいますよ!Sくんも「お勉強大好き計画」、今週からスタートしましょう!

 
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323.日常の言語~”しゃおっ”

323.日常の言語~”しゃおっ”

「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 ”しゃおっ”って、何のことでしょう。これは、揚げたてのえびフライを口の中に入れたときの音。生徒さんと、国語の教科書で読みました(光村図書中2)。三浦哲郎作「盆土産」に、こんな表現があったのです。三浦哲郎1931年生まれ、青森県出身の作家です。
 
 このお話の舞台も青森県。素朴な家族のお話です。時は、昭和30年代くらいでしょうか。都会に働きに行っている父親(父っちゃ)が盆に休暇が取れて急に帰ってくることになり、そのことを知らせる便りに「土産にえびフライを買って帰る」と
あったのです。「えびフライ」と聞いても、話の中心人物である少年(おら)もその姉(あんね)も祖母(婆っちゃ)も、またその友達も、「えびフライ」がどんなものなのか見当がつきません。

 見当がつかないだけに気になって仕方なく、つい「えんびフライ」と口に出てしまうほどです。分からないけど、「とびきりうまいものにはにちがいない」と、父の帰りを心待ちにしていました。そして父親が帰ってえびフライ揚げてくれた、
そのえびフライを食べたときの音が、”しゃおっ”なのです。

 「えびフライ」という言葉だけ聞いて、そのものを知らない。そんな未知のものに対する想像力、期待、気持ちの高まりが実によく表現されているお話です。今の私達は、エビフライがどんなものだか知っています。しかし、このお話を読みながら、この少年といっしょに、「えびフライ」ってどんなものだろうかというように、想像を働かせていくのです。「とびきりうまいものにはにちがいない」というこの確信と共に。

 エビフライのにおい、大きさ、長さ、太さ、ころもの具合、色、揚げたての熱々、油で光るエビの尾・・・、この想像のプロセスの終点が、この”しゃおっ”です。これまでの想像のすべてが、この”しゃおっ”に集約されています。未知だったえびフライが口の中に入ったときの食感です。読み手の口の中にも、”しゃおっ”という食感が広がります。あのにおい、旨みを追体験します。

 夕方のお腹の空いている時刻に、このお話はたまりませんね。「あー、エビフライ、食べたい!」こんな気持ちでいっぱいになります。(実際、この間に2度、エビフライ、食べましたけど。すごい、誘惑です。)

 言葉の力はすごいですね。言葉の力を生徒さんと共感、共有していきたいと思います。発達障害の生徒さんは、言葉の感性が乏しかったり、言葉の意味の把握が難しかったりということがありますが、私達の言葉の感性はどうでしょうか。

 雑事に追われる日常では、私達の言葉も単に道具としての言葉、記号としての言葉になってしまっているようなことはないでしょうか。

 気持ちの動きや揺れ、感性や感動、魂が伴うような言葉を私達が発し、投げかけることによって、生徒さん、お子さんの言葉も本来的なものとして育まれていくことでしょう。日常のほんの束の間でも、そんな言葉のやり取りを持ちたいものですね。

 

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322.日常の言語~

322.日常の言語~

「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

(つづき)「百聞は一見にしかず」、日常で実際のものや場に直面して「言葉」を経験するメリットについてきのうお話ししました。ちょうどその日、ひとりの講師が言っていました、

・・・国語のテキストで「いろいろな鉄道」について読んでいるので、そこに出てくる路面電車や地下鉄、貨物列車を「実際に見に行ってください」って、みんなに言っているんです。するとどの親御さんも、「はい、行ってきます!」と答えてくれるんです!・・・

 いいですね。そういうことなんです。テキストで、
「路面電車は、道路の上の線路を走っています」と読んでも、リアルに読み取り、感じ取れる生徒さんは少ないでしょう。
「路面電車は、自動車のように信号で止ります」、「本当だ!」とテキストの言葉を実際に体験してきてください。

 電車は電車でも一両の電車、路面電車の速度、振動、音、匂い、感触、形態、デザイン、道路の上の線路・・・さまざまな要素の中から、その生徒さんなりに親御さんと言葉を交わしながら何かをぜひ経験してきてもらいたいものです。

・・・ホームで貨物列車が通過したら、「これが、貨物列車!」と”その場で”教えてあげてください!とも言ったんです・・・

 そうですね、まさにその場で教えてあげてください。「金太郎」「桃太郎」の名にふさわしく、先頭の電気機関車が十何両もの貨車を力強く引っ張っていきます。私たちも、圧倒されます。その感動を伴って「これが、貨物列車!」、と教えてあげてください。

 さて、日常における言語トレーニングのメリットは、こんなところに求められます、として
・日常はまさに実際の場であるので、具体的なものや状況と言語が直結しています。
・日常はまさに実際の場であるので、話し手にも聞き手にも感情が伴います、までお話してきました。

最後にその3つめです。
・日常はまさに実際の場であるので、ダイナミックな言葉の働きを感じ取ることができます。

 先の電車たちのように、対象のダイナミックさがまずあります。それに加え、日常にはその場にいる人たちの関わりのダイナミックさがあります。言葉のやり取りの中に身をおいて、雰囲気や臨場感を味わい、吸収することができます。

 言語教育にとっては、幼稚園や保育園、学校での統合教育はお勧めです。言葉のダイナミズムがあるからです。しかも子どもの声は直截的で、表現はストレートで端的です。

 あちらからもこちらからも元気な声、あちらではけんか、こちらでは泣いている声、先生の声と友達の声、先生の言葉がけに対する子ども達の声・・・。たとえ自分からの言葉がまだ出ていなくても、クラスでの全体の言葉の流れが、言葉を生み出し発しさせる”感情の動き”を起こさせます。

「今日のプールは中止でーす」「えー!」「どうしてー?」
「雨が降ってきたからね」「やだー」「はいりたーい」・・・というような、ごく自然な言葉のやり取り。そんな中で気持ちは、この全体の言葉の波に乗るように動き出します。この気持ちの動きは、まだ言語にはならずとも言葉の発芽と言っていいものです。

 教室やご家庭の「学習の場での言葉」と「日常での言葉のやりとり」、言語トレーニングとして何れにもそれぞれに貴重な要素があります。ですから、何れの場も大切にしていきましょう。両者に共通に言えることは、言葉とは、人と人との関わりにおいてじっくりていねいに「育てていくもの」だと言うことです。
 

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321.日常の言語

321.日常の言語

「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 教科の個別の学習自体が言語トレーニングになっています、ということを昨日お話しました。今日は、日常における言語トレーニングの意味合いについて考えてみます。

 日常における言語トレーニングのメリットは、こんなところに求められます。

・日常はまさに実際の場であるので、具体的なものや状況と言語が直結しています。
 
「百聞は一見にしかず」の言葉のとおり、そのもの自体と言葉との直結は言葉の理解を深めます。「ピン!とくる」というのがそれです。学習の場では、記憶をたどって想像で言葉を理解するしかありません。その記憶と想像を助け補うために、教室では絵や動画を駆使しているわけですが。これは、なるべく言語のやり取りの場を日常に近づけようとする努力です。

・日常はまさに実際の場であるので、話し手にも聞き手にも感情が伴います。

 話そうとする、つまり言語を発しようとする動機付けは、「必要性」と「感情」です。「必要性」も言ってみれば、「言いたい」「言わなければ」という感情です。相手への感情、対象への感情、事態への感情、状況に対する感情、これが日常の場では当然ですがリアルです。

 この、感情がリアルに動きやすい日常は、言葉を発せさせ、感情語を獲得させる絶好の場です。「あついね」「さむいね」「きれいだね」「おなかがすいたね」「のどがかわいたね」「つかれたね」「すごいね」・・・などのごく日常的な感情語からはじめ、「なつかしい」「梅雨、うっとしいですね」「今日は、さわやかね」・・・。

 さらに「人のあたたかさ」「言葉のあたたかさ」「風の音のなぐさめ」「都会の冬の冷たさ」・・・最後は詩のレベルですが、その基礎はやはり日常語から学んでいくものです。

 どの分野でも基礎を学べば応用や予想、想像が可能であるように、感情語においても基礎から育てていけば、自分とは異なる相手や第三者の感情を理解したり、経験していないことも想像する、といういことができるようになります。

・・・こう考えてくると、言語を育てるトレーニングと感情を育てるトレーニングとは表裏の関係にあるようですね。今あらためて、つくづく感じます・・・。そうですね・・・(つづく)。

 

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320.宿題:叱らないで・・(つづき)

320.宿題:叱らないで・・(つづき)

「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所
 
 きのうの生徒さん、「長男」・・・「長い男の子」だけでなく、楽しい例は他にもあります。

「人工」の反対語は?・・・「・・・?・・・人工衛星!」
「うーん。人工は人が作ったものだから・・・」「人作!」。知恵を総動員して答えます。

「山や川や海は、人が作ったものではないよね。そういうものを・・・?」「・・・?」
「自然って言うよね。だから、人工の反対は、自然」「ふーん、自然か。そうなんだ・・!」

「そうなんだ」と言いながらも、言葉としてピンと来ていない様子です。ですから、同じワークを宿題にして、同じような説明をもう一度ご家庭でも繰り返してもらいます。そのためにも、生徒さんの反応やこちらの説明をワークの余白にメモしながら授業を進め、親御さんにも細かく報告します。楽しく、笑いながらの報告です。

「未来の反対は?」「天国!」
どういう回路か、この生徒さんの中ではこういう理解になっています。何か、遠い次元のものとの結びつきなのでしょうか?定かではありません。
そこで、具体的に説明します、
「今、○○くんは小学校6年生でしょ。それが、中学生になって、高校生になって、大人になって・・・と、今から先のこと、今から後のことが未来。そして、小学校2年生だったり、幼稚園だったり、赤ちゃんだったときが過去。だから、未来の反対は、過去!」

「かこ~?!」なんだか初めて聞くことばであるような反応です。でも、どこかでは見聞きしているようで、その場で教えなくても漢字では書くのです。生徒さんの中には、語彙がぱらぱらと、関連しないで入っているのです。

 関連していない語彙、しかしそのことをマイナスに捉えないでプラスに捉えましょう。関連していなくとも、とにかく語彙は蓄えらていっているのです。そもそもこの生徒さんの問題は、語彙が極端に少ないことにあり、そこからのスタートだったのですから。

 国語に限らず、こうして学習を日々繰り返す、この言葉のやりとり自体が大きな言語トレーニングになっています。まだ関連していないところがあるとは言え、ずい分関連付けられてきてはいます。

 日常会話ももちろん言語トレーニングになっていますが、学習の場での言葉のやり取りは文字を通し、図を通し、またゆっくりと言葉を選んで進められますから、視覚的にも聴覚的にも、トレーニングの密度は日常よりも高いものとなります。

 しかも、日常では経験しないさまざまな世界を切り取って対象とする学習においては、日常では触れない言葉を経験することができます。そこからやがて、抽象的な言葉や概念的な言葉も獲得していくことが出来ます。

 叱らないで学習させる、ましてや楽しく学習をさせれば、子どもは聞く耳を持ち続けることが出来ます。反対に、学習を苦痛にするようになると、生徒さんはまるでスイッチを切るかのように脳の働きをストップさせてしまいます。

 お子さんの名答を楽しみ、一緒に笑いながら、学習に取り組んでいきましょう。その方が脳はいっそう活性化されてずっと効果があがります。

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319.宿題:叱らないで・・

319.宿題:叱らないで・・

「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 宿題を渡すときに、いつも親御さんに申します、「分からないところがあったらそのまま持ってきて下さい。決して叱らないでくださいね」。

 宿題に限らず、家庭学習のコツ:
・分からなくても叱らない
・分からなかったら、答を見て書かせる
・分からなかったら、教えてあげる

こんなやり方だと学習についていけません、と思われるかもしれません。
普通学級ではどんどん先に進んでしまうんですよ、と思われるかもしれません。
甘やかしていると他の生活までわがままになります、と思われるかもしれません。

 しかし、そんなことはありません。教育においては「急がば回れ」ということが功を奏すことがあります。叱りながらやらせても、何ひとついいことはありません。つい先日、ひとりの小6の生徒さんと国語の学習をしながら、「ずい分じっくり取り組めるようになったな・・・」と思いました。

その日は、ふだんより少し事細かに語彙の意味に触れてみました、

「暖冬って何?」「暖かい冬」、「そうだね」
「じゃあ、自らは?」「自分から」、「うーん、そうだね」
「じゃあ、長男は?」「長い男の子」、お互いに笑い。自分でも変だと思ったのでしょう。
「○○くんは、長男だけど、長い男の子?」・・・また笑い。

 それから、図を描きながら長男・次男・三男、長女・・・の説明をしたり。一人っ子のこの生徒さんにはイメージしにくいところもあったので、お母さんの兄弟のことを尋ねてみたり。でも、よくわからない様子。そこで、
「○○くんには、おじさんっている?」「・・・?」
「○○くんには、おばさんっている?」「・・・?」
「おばさん? あの60才くらいの人がおばさんかな?」「・・・それは、おばあちゃんでしょ・・」
しだいに、おばあちゃんとおばさんとが混乱してきます。

 幼児期から、語彙数の少ないことが気になり、言葉による表現や理解に問題を持つ生徒さんです。今でも時折、こんなふうに当然分かっているかなと思われるところが未獲得であったり、文意の通じにくいところがあります。でも、教室でもご家庭でも叱らずに穏やかに学習に取り組ませてきましたから、言語のハンディを有しながらも、小6の課題に取り組めています。

 しかも、決して投げやりになることなくイライラすることもなく・事細かに問われても、むしろ自分なりに一生懸命に考えようとする姿勢があります。「しらない」「わからない」と片付けてしまうことはありません。

 叱らない教育がいかに大切であり、子どもを育て伸ばすか。この態勢はやはり、間違えではないと改めて感じ、気持ちをまた少し強くしています。

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318.人生の重さ

318.人生の重さ

「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 「足利事件」の再審初公判に関して、ー証拠請求の多くが認められ、「予想以上」と喜ぶ弁護団の笑顔と対照的な厳しい表情ー(10月22日:読売新聞)と報じられていました。弁護団にとっては無罪判決を得るという目的のためには、予想以上に多くの証拠請求が認められたことは確かに大きな成果でしょう。

 しかし、冤罪の被害者の17年半という年月は戻ってきません。無罪が認められれば認められたで、「ならば・・・、あの17年半という年月の拘束・屈辱・喪失は何だったのか?」という、怒りとも、悔しさとも、無念とも、筆舌を越えた「私の人生をどうしてくれる?」という取り返しのつかないとてつもない憤りに、繰り返し迫られるばかりでしょう。

 小中学生の頃に時折見ていた刑事ドラマでも、事件が解決して最後は、たいてい刑事仲間が談笑したり、ユーモラスにふざけあうシーンでしたが、それを見ていつも何かそれとは違う「悲哀」のようなものを感じていました。事件は解決しても、被害者とその身近な人たちの心情やその後の生活はどうなのか、その人たちの人生はどうなるのかと。加害者の贖罪と更生においても・・・。

 領域は全く異なりますが、「人生」という観点からは特殊教育の分野でも、日々の療育において、また就学などの進路選択や決断において、一人ひとりのお子さんの人生の重みを感じて携わらなくてはなりません。

・ただ、絵が描けるようになりました、歌が歌えるようになりました、だけではなく、来春の入園に対してそれがどのような意味合いを持っているのか、他にも入園のために整えておくことはないのか?

・教科の学習もただワークを行うのではなく、学校のテストがあるのならそこでの成果にその生徒さんなりに結びつくように、受験を控えているのなら受験日から逆算してその生徒さんなりに充分な準備が出来るように

・合格したら合格したなりの次のケアを、不合格であればそこでの進路修正と心理的ケアを

・就職して自立に向かう生徒さんについては、生き生きと豊かに生活できているか、さらに豊かにするためには・・・

 特殊教育においては、常にその生徒さんの日常と少し先の将来を見据えて、目先の何ができたということだけでなく、その意味付けを行いながら、一人ひとりの人生が心身健康な豊かな人生になるようにという視点を持つことが求められています。

 秋から来春に向けて今、就学相談が行われ、それに関する相談が教室に寄せられていますが、心理測定の数値でひとりのお子さんの進路が決定されそうになったり、親御さんが不安になったり・・・。

 責任ある立場の人間は、一人ひとりの子どもの人生の重みをしっかりと受け止めて、評価や進路についての指針を示すべきです。

 職責と一人ひとりの人生とは、重ねようとしてもどうしても重ねきれないところはあります。しかし、出来る限り、最大限の思いと努力をはらって、重ね合わそうと努めるべきです。それが本来の職責です。特別支援学校、特別支援学級、普通学級・・・、ほどよく振り分けて、談笑・・・というようなことがないように。

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317.子どもは育つ

317.子どもは育つ

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 発語がある、言葉をどのくらい理解できる、算数がどのくらいできる、ひとりでどのくらい行動できる・・・、という尺度とは別に、お子さんの心は成長していきます。早ければ小学校高学年、中学生、場合によっては、高校生年齢。個人差はありますので、就労し、20代になってからということもあるでしょう。しかし、いずれにしても、やがて自立のときを迎えます。

 その兆しは、
・注意されたり、指示されることを嫌がる
・事細かに聞かれることを嫌がる
・親御さんとの会話が少なめになる
・ひとりの時間を好む
・親御さんのいる時といない時とで、態度が変わる

・・・こんな様子として表れます。

 それに気づいたら、「自立への志向が芽生えている」ということを理解されることが必要です。と言っても、すぐに居を別にして自活させるということではありません。

 それでは、どうしたらよいのでしょうか。
・出来るかぎり、注意や指示を抑えましょう。
・お子さんに事細かに問いただすようなことは、控えましょう。
 むしろ、お子さんが話題にしてきたことや、関心ある素振りを見せたことに対して、興味を持って関わってあげましょう。
・ひとりの時間を大切にし、その時間は言葉をかけることを控えましょう。
・子ども扱いをしていないかどうか、親御さん自身が自己の言動を振り返ってみましょう。

 「~しなくちゃ、だめでしょ」「もうしたの?」「ほら、また」「だから、言ったでしょう」・・・というようなことが、言動や態度に出ていることはありませんか?
 
 このようなことに少し気を払われれば、ご家庭の中でも、自立への芽を上手に育てていくことができます。自立への志向を妨げられることがなければ、多少の葛藤はあってもお子さんは順調に成長し、親御さんとの新しい関わり方を見出すことが出来るでしょう。

 きのうも、「我が強くなって、なかなかこちらの思い通りにはならない・・・」という親御さんからのお話がありましたが、それはこれまでの子育ての甲斐あって、お子さんが成長された証拠です。

 親御さんにとっては、「いつまでもかわいい○○ちゃん」であっても、体だけでなく、お子さんの心理状態は変化してきています。お子さん自身も気づいていないかもしれません。しかし、大人(=自立)への志向は確実に強くなっていきます。

 お子さんの成長に伴って、親御さんも変わっていくことが求められているのですね。

  
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316.ブロックを掴む!

316.ブロックを掴む!

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 昨日のケース会議でのことです。ある一人の生徒さんについて、「ブロックを把握する割合が増えた」という報告がありました。

 小さなブロックを掴むことなんて「誰でも出来ること」、と思われるかもしれません。しかし、ハンディをもつ生徒さんにとって、それは何年か越しでの成果なのです。提示された課題に注目し、何をすれば良いのか感じ取り、理解し、気持ちを動かし、それに従って手を動かし、指を動かし、そして掴む。神経が指先にまで及んではじめて可能となる行為です。体を支えながらの、全身集中の行為です。

 ですから、いつも出来るとは限りません。まだ、出来る「割合が増えた」という段階なのです。何回か前までは、「偶然かな?」と思われるくらいの確実性のない行為だったそうです。でも今では、「意図して掴んでいる!」と確信できます、とのことでした。

 「出来る」「出来ない」のイチゼロの尺度では、計ることの出来ないものがあります。特殊教育では、ゼロからイチの間の成果を見ていきます。それが、成果の「割合」です。とても小さな変化なのですが、とても大きな成果なのです。先の例でも、「指先にまで神経が及んだ!」ということは画期的なことです。そこからいろいろな可能性が広がってきますし、他の把握行動にはどんなものがあるかと、日常生活を見直す必要も出てきます。課題がどんどん出てきて、気持ちが高まります。

 小さな変化を見つけられる目、というものに私達は誇りを持ちます。その目があってはじめて、講師は生徒さんを心からほめながら、また自らも手応えを感じながら、喜びをもって指導に当たれます。

 イチゼロの尺度では、「今日も出来ませんでした」、「まだダメです」、となって、喜びも希望もなくなってしまいます。「数の理解、まだ不完全です」、「ひらがなの読み、完璧ではありません」ではなく、どこまで出来ているのか、ということの正確な把握が学習を次に進める力となります。

 行きつ戻りつしながらも、小さな変化に大きな成果を認め、親御さんとも共に喜びながらの日々です。

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