355.ゆったりひと時

355.ゆったりひと時
「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 冬休み前のこの時期、親子でゆったりとした時間が生活の中に取れそうですか?10分でも15分でもいいのです。時間が取れるようでしたら、そんな時はお子さんの話を聞いてあげましょう。

 日頃は、とかく親御さんから発する言葉が多くなります。
「学校で、何したの?」「だれと遊んだの?」「先生はなんて言ってたの?」「授業でどこまでやったの?」・・・。
または、親御さんからの指示。「ああしなさい、こうしなさい」「早くしなさい」「~しないとだめでしょ」・・・。
または、勉強を教え込む。「よく見て」「よく考えて」「きれいに書いて」「さっき、やったでしょ」・・・。

 この時期は少し学習から解放されますから、ゆったりとお子さんの発信に耳を傾けてあげましょう。忙しい日々の中では、お子さんも言い出せないこともあります。いつもと違うながれの時間に、ふと本音が出ることもあります。

 話ばかりではありません。お子さんの好きなことを一緒にしてあげましょう。好きな図鑑を一緒に見てあげたり、電車など趣味の雑誌を一緒に開いたり。好きなテレビを一緒に見たり・・・。お子さんの方が詳しくて、教わるようなこともあるでしょう。この立場の逆転も、これからのコミュニケーションにとって、大きな意味があります。

 お子さんとコミュニケーションをとるためには、まずお子さんの興味のあるところからお子さんとの気持ちのつながりを持つことです。指示する・指示される関係から、コミュニケイトする関係へと変わっていくチャンスです。この時期をゆったりと大切に過ごしましょう。

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354.冬休みの前に

354.冬休みの前に
「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 冬休みまで、あと10日ほどですね。定期テストはもちろん、学期末の締めくくりのテストなどももう終わった頃でしょうか。でしたら、実りある冬休みを向かえる準備をしましょう。そのためにはここで、勉強をはじめ、毎日終われるような生活を仕切り直すことを心がけましょう。

 この期間は、ゆったりと生活リズムを整えることに主眼を置いてみてはいかがでしょう。基本は、早寝早起きです。当たり前でおもしろくもない、と思われるかもしれません。でも、ゆったりとゆとりのある生活は、早起きから生まれます。そして、早起きのためには当然、早寝が求められます。

 早起きをして、あわてずに、時間にせかされずに一日を過ごせれば、親御さんはイライラすることもなく、お子さんは小言を言われたり叱られたりすることもなく、お互いに気持ちよく夜を迎えることが出来ます。一日の感謝の気持ちさえ湧いてきます。

 明日の用意ができたら、ほんの少しお楽しみの時間を持って、床に就く。そうすれば、寝ることさえ楽しみになります。この10日間の中には、祝日もあれば、クリスマスもあります。とにかく、親御さんもお子さんもゆったりと楽しく休息のときをもちましょう。からだも気持ちも休めましょう。冬休みを大切に過ごすための、
仕切り直しです。

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353.体験の力

353.体験の力
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 今日、一週間ほどの職場体験をしてきた生徒さんとの授業がありました。さっそく職業体験についての作文学習を行いました。いつになく要点を絞ってまとめ、感想も交えて書き上げることができました。計算や漢字、記憶には強く、どちらかというと、作文は苦手としている生徒さんです。それだけに、今日の作文の書きぶりからすると、さすがに体験の力は大きいなと感じました。

 この生徒さんとは、これまでも次のようなテーマで作文学習を折に触れて行ってきました。

・遠足
・社会科見学
・物語~教科書~
・本の感想
・社会問題(いじめ、虐待、エコ・・・)

 一番苦手なのは、「物語~教科書~」の感想文です。ひとりで書いたものを見ると数行で終わってしまっています。「遠足」「社会化見学」もまあほどほどに・・・と言った程度の書きぶりです。本の感想では、ある程度自分自身を出して表現できます。自分で選んだ本についての感想ですから、自分との関連が持て、少し書きやすかったのでしょう。

 比較的よく書いているのが「社会問題」についてです。中でも、「虐待」についての作文は表現に拙さはさはあったものの、本人の意見(気持ち)としては、確固たる物をもってそれを表現することが出来ていました。体験的に、意識化がなされていたのでしょう。

 しかし、それらに比べ一段としっかり取り組めたのが、今日の作文です。たとえ数日間でも日々緊張を持って真剣に取り組み、新鮮な体験をしたのでしょう。大人としての仕事の経験をしたことは、きっと確かな手ごたえを感じ、体や気持ちにびんびんと入り込んでくるようなものの連続だったのでしょう。右から左に通過していってしまうような体験や知識の習得とは大きく異なるものだったのでしょう。

 まさに、お店でも銀行でも病院でも図書館でも、いつもは一利用者であるのが、突然店員であったり行員であったり、スタッフであったりと、立場はまったく逆転してしまったのですから、ある種のショックがあったかもしれません。

 今回のことでこちらもまた思いを新たにしました。体験の重要性です。知的操作は得意でも、意味のある言語を理解し駆使することを不得手とする生徒さんには、体や気持ちに訴えかけるような体験が必要だということです。そのような体験によって、なかなか意味を成しえない言語や気持ちに意味が伴われていきます。

 日常的に常にそのような環境を保つことは難しいでしょうが、時にはそんな機会を意図的に設け、数少ないそんな貴重な折を大切にすることはとても意味のあることですね。

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352.コミュニケーション 3つの気づき

352.コミュニケーション 3つの気づき
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 ここ数日にわたって、「言葉」「コミュニケーション」ということに触れてきました。少し振り返り、まとめてみます。

・コミュニケーションは、「言葉がある」「言葉がない」という二元論的な問題ではないということ。
・音声や文字で表される明確な言葉の前提として、「言葉以前の言葉」が存在するということ。
・コミュニケーションは、その「言葉以前の言葉」に気づくことから始まるということ。

 これらのことに気づいて、教育にあたれるか、また子育てにあたれるか、また人との交わりをもてるかによって、コミュニケーションの成長には大きな違いが出てきます。コミュニケーションは、一人称と二人称との双方で作り上げていくものです。双方の気づきあい、受けとめあいによって成立します。

 子どもが発しても発しても受けとめてもらえなかったら、子どもは発する方向性を失い、発することをやめてしまいます。意図的にやめるわけでなくても、発する勢いというようなものが萎えてしまいます。

 子どもの表情やたたずまいを感じ、読み取りましょう。子どもは顔で話し、顔で聞く、そんな印象をもちます。口で話し、耳で聞く、というより存在自体で何かを発し、存在自体で何かを受け止めているようです。

 講師や親御さんの立場からは、子どもの存在や息遣いをこちらから感じ、それに流れを起こし、方向性を持たせてあげましょう。そして、それを引き出す、発することができるようなきっかけ作りをしてあげましょう。

 そのためには、相手のなかにこちらから、まなざしや表情や仕草や、しずかな言葉でもって入っていくことです。これは、とても繊細でやわらかな働きかけです。

 でも時にこんな気持ちで、おだやかなゆったりとした時間をもってみましょう。 

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351.話したい・書きたい

351.話したい・書きたい
「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 自分の中から溢れるように表出する言葉、それは話し言葉だけではありません。書き言葉もあります。

「・・・お母さんはいつも毎日優しくて、いきなり怒られて、家族や親戚まで怒られました。
 おじいちゃんの面倒を見ていた。ところがお母さんは勉強をしないでおじいちゃんから怒られた。
 勉強しないでおじいちゃんに怒られて今度はお母さんがすごく怒ったのに、
 人を怒られるのがいやだなあと皆さんには迷惑をかけて申し訳けありません・・・」

 生徒さんがパソコンに打ち込んだ長い文章の一節です。この話は、日頃から口頭でもよく出てきます。文法的には接続詞や副詞も適度に出てきて受動態も使いこなしていますが、主語と述語の組み立てや助詞が適切でないために伝わりにくく、推測しなくてはならないところがあります。

 しかし、この生徒さんの息遣いや気持ちの流れ、勢いといったものはしっかり伝わってきます。本来のこの生徒さんのユーモラスな面も感じられ、文章自体はかなり怒っているのですが、最後で「ふっ」と笑ってしまいます。

 もちろん、言語学習としては赤ペンを入れなくてはならない箇所がたくさんあります。また講師としては、
「これまで、なに指導してきたの?」と咎められそうですね。でも、
「ここまで育ったんですよー!」と誇りたい気持ちもあります。

 赤ペンを入れることも必要です。しかしその大前提として、まず書き手の心を受け止めましょう。その心を受け止めたら、こちらも心から返しましょう。それが、コミュニケーションです。

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350.コミュニケーションって

350.コミュニケーションって
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 言語学習とコミュニケーション学習とは重なるところがありながら、異なるところがあります。もちろん言語を用いないノンバーバルナコミュニケーションもあります。しかし、通常のバーバルコミュニケーションにおいても、言語学習イコールコミュニケーション学習ではないのです。

 言語があってはじめてコミュニケーションが成立するとすると、やはり言語のない生徒さんとはコミュニケーションが出来ない、ということになってしまいます。すると、数日前にお話した研修生のように、「あのお子さんは言葉がないので・・・」ということになってしまうのです。

 発語のまだない生徒さんとも、言語を通してコミュニケーションをしていきましょう。生徒さんの息遣いを感じながら、生徒さんの存在を感じながらコミュニケーションをとっていけば、伝わります。生徒さんからも、返答や語りかけがあります。生徒さんからの返答や語りかけ感じとっていきましょう。

 「語る」とは、また「相手に言葉をかける」とは、思いや気持ちを相手に橋渡すことです。人は感情が動くときに言葉を発します。ですから、構音や文法能力がまだ発達しきらなくとも、また十分に備わっていなくとも、話したくてたまらないという生徒さんたちがいます。それほどの気持ちの動きや流れのあることは、私はとても良いことだと思います。

 多くの生徒さんはそんな時、言葉の前段階の声を出します。笑い声を立てる場合もあります。中には、抑揚だけで話すような段階もあります。幼児期のジャーゴンもその一つです。語彙も構音や文法能力もまだ不十分であるのに、一人前に話をしようとしている状態です。絵で言えば、なぐり描きの段階です。文字でもそうです。大人気取りで鉛筆を持ってめちゃくちゃ書きをしている段階です。

 でもその気持ち、志向、勢い、発信を大いに認めて、応えていってあげたいものです。教育に携わる立場では、このようなコミュニケーションの本質的なあり方に感じ、気づいていきたいものと思います。

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349.語りかける

349.語りかける
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 日曜日の新刊の欄(2009年12月6日読売新聞)に、山折哲雄「いま、こころを育むとは」が取り上げられていました。書評の冒頭に、「・・・全共闘の息の根をとめたのは、俵万智『サラダ記念日』だと説く」とあり、「えっ、どういうこと?」と思いつつ続きを読むと、その意図するところがすーっと浸透してきました。

 少々長くなりますが、私の拙文ではお伝えしきれないものですので引用させていただきましょう、
「・・かつて紛争の嵐が吹き荒れたキャンパスで聞く学生の演説は、なぜ、心に響いてこなかったのか。それは、五七調や七五調と違う[われわれは、日帝の]式の”五五調”だったから。万葉集に始まる和歌のリズムこそが、日本人の呼吸や生命の根源なのではないか。女性歌人の人気沸騰の陰には、あのリズムの回復を待望する国民の<渇くような思い>があったはずだ」

 学生運動の真っ只中だった頃、私は小学生でした。何かの雑誌の取材で学校で数人が選ばれ、インタビューに応じたことがあります。そこでどういう質問に対してであったかは忘れましたが、私が「全学連のー、ことはー、よくー、わかりませんがー、・・・」と何らかの返答をしたようです。その語調がこっけいだったのか、その後、父にさんざ茶化されたのでこの何語かだけが今でも思い出されます。

 その頃のテレビニュースを見ていて、彼らの”五五調”のようなものが移ってしまったのでしょうか。語調というのは、すぐに人に移りやすいものです。それと同時に彼らの気持ちの高揚のようなものも多少入り込んでしまっていたのかもしれません。「学生運動」と聞くと、語調も気持ちの持ちようもパッと切り替わってしまうのです。言葉には、良くも悪くもそんな力があります。

 いかがでしょう?私はさらに、日頃の授業での生徒さんへの言葉かけも振り返りました。
「さあ、数えるよ!よく見て!ずれないように!1、2、3、・・はい、ぜんぶで!」と一方的に言葉を発していることはないでしょうか?
ご家庭ではいかがでしょうか?
「さあ、時間よ!かばん持って!くつはいて!ほらっ、よく見て!」と一方的に言葉を発していることはないでしょうか?
生徒さん、お子さんはどんな言葉を渇望しているのでしょう。

「なぜ、心に響いてこなかったのか」・・・日常で五七調や七五調で言葉をかけることは難しくとも、呼吸や生命の根源をふと意識することはとても大切なことですね。「数えるよ!」「算数!」・・・と聞いただけで、生徒さんの気持ちがパッと堅く切り替わってしまうことがないように。むしろ「先生といっしょだからわかるよ」と生徒さんの中に安心感と意欲・興味がひろがるような言葉がけを日頃からこころがけたいものですね。

 
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348.伝わってる?

348.伝わってる?
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 私達は通常、分からないと思って話しかけているのではなく、わかるだろう、伝わっているだろう、という前提で話しかけています。

 たとえば母親は、言葉をはじめて耳にする赤ちゃんにも、伝わっているということを疑わずに話しかけています、「おはよ!」「いい子ね~」「おいしいおいしい」・・・などと。だから赤ちゃんは、やがて言葉を獲得していくのです。

 人間には、文法を獲得して言語を繰る機能が生得的に備えられているとは言え、思いをかけて話しかけられることなしでは、言語機能は育ちません。

 私達は、犬やネコ、ペットにも同じ思いで話しかけます。時には、花や木に話しかけることもあるかもしれません。それは、犬やネコ、植物に生き物としての共感性持つからです。子どもは、物に対しても話しかけることがあります。子どもには、物にも命があるような感覚があるのでしょう。それは、全てのもに霊(anima)が宿るというアニミズムに通じるものです。何れも、言葉よりも、気持ち、気息、生気といったものが優先されているコミュニケーションです。

 私自身、発語のある生徒さんにもまだ無い生徒さんにも同じように言葉を通してコミュニケーションをとります。その時、生徒さん自身に発語が有るか無いかは意識に上っていません。今こうして改めて振り返れば、「同じように」と言っても、
無意識のうちに、こちらも声の出し方やテンポを調整しているのだと思います。同時に、表情や仕草や動作も変えているでしょう。

 一方的に、機械的に投げかけた言葉は届かなくても、共感性を伴って発した言葉は伝わります。日々の生徒さんとのコミュニケーションにおいては、こちらの言葉の働きにも磨きがかけられます。

 

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347.言葉って?

347.言葉って?
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 「○○くんは、言葉がないから」とか、「○○ちゃんは、話さないんです」、というような発言を研修セミナーで時おり耳にすることがあります。しかし、生徒さんが言葉を発しないからと言って、コミュニケーションが成立しないわけではありません。

 きのうこのブログで、ワシントン大学法の講演会の時のお話をしました。そこで行われた、ダウン症児のための早期プログラムのデモンストレーション。日本のダウン症のお子さんを対象に行われたのですが、もちろん、v.ドミトリーブ先生は英語で話しかけられました。お子さんにとっては、おそらくはじめての英語です。しかし、コミュニケーションは成立し、プログラム課題は先生の意図されたように進められました。

 「どうせ英語は分からないだろう」と言うような思いはまずもたれず、そのまま英語で指導されました。言葉を介しながら、目を見て、表情や動作で先生の意図することを示していきます。英語自体は分からなくても、言葉は通じるのです。言葉とは、そういうものです。

 今朝の教室ブログは、「気持ちをことばにのせて」というテーマでしたね。まさに、そのとおりです。「気持ち」以前の、「意識」をのせて、「生気」をのせて、と言ってもいいかもしれません。北原白秋の詩集にもありました、生まれて程ない赤ちゃんの息に新しい命の生気を感じるといった詩が(どこかで出会った詩で、出典が不明なのですが)。

 コミュニケーションの原点は、自己と他者が生気を交わすことにあります。

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346.失敗させないように

346.失敗させないように
「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 もう20数年ほど前のことになりますが、ダウン症児の早期プログラムを実践し世界的に普及されたv.ドミトリーブ先生を研究所にお招きして講演会を行ったことがあります。講演の中で、教室のダウン症の生徒さん(4才位だったでしょうか)が
ステージに上がって、先生にプログラムのひとつを実践していただきました。

 課題は、積み木をカップに入れることだったか、なにかものを取り出すことだったかは忘れてしまいましたが、はじめての子どもに対してもまるで前からよく知っている子どもであるかのような対応ぶりで、先生の優しいまなざしと子どもさんのかわいらしさだけが今も印象として残っています。ほんの数分ですが、広い会場のステージに作り上げられた、先生と子どもさんのあたたかい世界が記憶の中に浮かんできます。

 その先生がおっしゃったことで、今でも日々の授業の中で思い起こされることがあります。それは、課題に対して子どもが失敗しないように指示をしましょう、ということです。

 たとえば色の取り出しで、赤・青・黄・緑の4つの積み木を並べて、「○色の積み木をください」という課題があります。その時にまず、一つずつ積み木を指で触れながら、そして子どもの視線を確認しながら、「これはあか」、次の積み木に触れながら「あお」、次の積み木に触れながら「きいろ」・・・といっしょに確認をしていきます。そして、さいごに確認した色の取出しからさせるのです。

「これは、あか、あお、きいろ、みどり。さあ、みどり ください」という具合に。

 数の学習においても、文字の学習においても同じことです。基礎学習に限らず、教科の学習やその先の学習についても言えるでしょう。熱心になるがゆえに、「これは?」とか「どっち?」とか「よく考えて!」とか迫りがちですが、ことに「学習」というもの自体への導入の段階では、ゆっくりとじっくりといっしょに課題にとりくんであげましょう。ものを並べたり、入れたり、取り出したり、ものの操作をいっしょに行ってあげましょう。しだいに手は添えなくても、気持ちはいっしょに行ってあげましょう。

 ことばよりも態度とまなざしで指示をしていきましょう。先ほどのステージでの子どもさんとのコミュニケーションも日本の子どもに対して、先生は英語でなされたのですから。

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