318.人生の重さ
「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所
「足利事件」の再審初公判に関して、ー証拠請求の多くが認められ、「予想以上」と喜ぶ弁護団の笑顔と対照的な厳しい表情ー(10月22日:読売新聞)と報じられていました。弁護団にとっては無罪判決を得るという目的のためには、予想以上に多くの証拠請求が認められたことは確かに大きな成果でしょう。
しかし、冤罪の被害者の17年半という年月は戻ってきません。無罪が認められれば認められたで、「ならば・・・、あの17年半という年月の拘束・屈辱・喪失は何だったのか?」という、怒りとも、悔しさとも、無念とも、筆舌を越えた「私の人生をどうしてくれる?」という取り返しのつかないとてつもない憤りに、繰り返し迫られるばかりでしょう。
小中学生の頃に時折見ていた刑事ドラマでも、事件が解決して最後は、たいてい刑事仲間が談笑したり、ユーモラスにふざけあうシーンでしたが、それを見ていつも何かそれとは違う「悲哀」のようなものを感じていました。事件は解決しても、被害者とその身近な人たちの心情やその後の生活はどうなのか、その人たちの人生はどうなるのかと。加害者の贖罪と更生においても・・・。
領域は全く異なりますが、「人生」という観点からは特殊教育の分野でも、日々の療育において、また就学などの進路選択や決断において、一人ひとりのお子さんの人生の重みを感じて携わらなくてはなりません。
・ただ、絵が描けるようになりました、歌が歌えるようになりました、だけではなく、来春の入園に対してそれがどのような意味合いを持っているのか、他にも入園のために整えておくことはないのか?
・教科の学習もただワークを行うのではなく、学校のテストがあるのならそこでの成果にその生徒さんなりに結びつくように、受験を控えているのなら受験日から逆算してその生徒さんなりに充分な準備が出来るように
・合格したら合格したなりの次のケアを、不合格であればそこでの進路修正と心理的ケアを
・就職して自立に向かう生徒さんについては、生き生きと豊かに生活できているか、さらに豊かにするためには・・・
特殊教育においては、常にその生徒さんの日常と少し先の将来を見据えて、目先の何ができたということだけでなく、その意味付けを行いながら、一人ひとりの人生が心身健康な豊かな人生になるようにという視点を持つことが求められています。
秋から来春に向けて今、就学相談が行われ、それに関する相談が教室に寄せられていますが、心理測定の数値でひとりのお子さんの進路が決定されそうになったり、親御さんが不安になったり・・・。
責任ある立場の人間は、一人ひとりの子どもの人生の重みをしっかりと受け止めて、評価や進路についての指針を示すべきです。
職責と一人ひとりの人生とは、重ねようとしてもどうしても重ねきれないところはあります。しかし、出来る限り、最大限の思いと努力をはらって、重ね合わそうと努めるべきです。それが本来の職責です。特別支援学校、特別支援学級、普通学級・・・、ほどよく振り分けて、談笑・・・というようなことがないように。
造形リトミック教育研究所
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