321.日常の言語

321.日常の言語

「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 教科の個別の学習自体が言語トレーニングになっています、ということを昨日お話しました。今日は、日常における言語トレーニングの意味合いについて考えてみます。

 日常における言語トレーニングのメリットは、こんなところに求められます。

・日常はまさに実際の場であるので、具体的なものや状況と言語が直結しています。
 
「百聞は一見にしかず」の言葉のとおり、そのもの自体と言葉との直結は言葉の理解を深めます。「ピン!とくる」というのがそれです。学習の場では、記憶をたどって想像で言葉を理解するしかありません。その記憶と想像を助け補うために、教室では絵や動画を駆使しているわけですが。これは、なるべく言語のやり取りの場を日常に近づけようとする努力です。

・日常はまさに実際の場であるので、話し手にも聞き手にも感情が伴います。

 話そうとする、つまり言語を発しようとする動機付けは、「必要性」と「感情」です。「必要性」も言ってみれば、「言いたい」「言わなければ」という感情です。相手への感情、対象への感情、事態への感情、状況に対する感情、これが日常の場では当然ですがリアルです。

 この、感情がリアルに動きやすい日常は、言葉を発せさせ、感情語を獲得させる絶好の場です。「あついね」「さむいね」「きれいだね」「おなかがすいたね」「のどがかわいたね」「つかれたね」「すごいね」・・・などのごく日常的な感情語からはじめ、「なつかしい」「梅雨、うっとしいですね」「今日は、さわやかね」・・・。

 さらに「人のあたたかさ」「言葉のあたたかさ」「風の音のなぐさめ」「都会の冬の冷たさ」・・・最後は詩のレベルですが、その基礎はやはり日常語から学んでいくものです。

 どの分野でも基礎を学べば応用や予想、想像が可能であるように、感情語においても基礎から育てていけば、自分とは異なる相手や第三者の感情を理解したり、経験していないことも想像する、といういことができるようになります。

・・・こう考えてくると、言語を育てるトレーニングと感情を育てるトレーニングとは表裏の関係にあるようですね。今あらためて、つくづく感じます・・・。そうですね・・・(つづく)。

 

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320.宿題:叱らないで・・(つづき)

320.宿題:叱らないで・・(つづき)

「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所
 
 きのうの生徒さん、「長男」・・・「長い男の子」だけでなく、楽しい例は他にもあります。

「人工」の反対語は?・・・「・・・?・・・人工衛星!」
「うーん。人工は人が作ったものだから・・・」「人作!」。知恵を総動員して答えます。

「山や川や海は、人が作ったものではないよね。そういうものを・・・?」「・・・?」
「自然って言うよね。だから、人工の反対は、自然」「ふーん、自然か。そうなんだ・・!」

「そうなんだ」と言いながらも、言葉としてピンと来ていない様子です。ですから、同じワークを宿題にして、同じような説明をもう一度ご家庭でも繰り返してもらいます。そのためにも、生徒さんの反応やこちらの説明をワークの余白にメモしながら授業を進め、親御さんにも細かく報告します。楽しく、笑いながらの報告です。

「未来の反対は?」「天国!」
どういう回路か、この生徒さんの中ではこういう理解になっています。何か、遠い次元のものとの結びつきなのでしょうか?定かではありません。
そこで、具体的に説明します、
「今、○○くんは小学校6年生でしょ。それが、中学生になって、高校生になって、大人になって・・・と、今から先のこと、今から後のことが未来。そして、小学校2年生だったり、幼稚園だったり、赤ちゃんだったときが過去。だから、未来の反対は、過去!」

「かこ~?!」なんだか初めて聞くことばであるような反応です。でも、どこかでは見聞きしているようで、その場で教えなくても漢字では書くのです。生徒さんの中には、語彙がぱらぱらと、関連しないで入っているのです。

 関連していない語彙、しかしそのことをマイナスに捉えないでプラスに捉えましょう。関連していなくとも、とにかく語彙は蓄えらていっているのです。そもそもこの生徒さんの問題は、語彙が極端に少ないことにあり、そこからのスタートだったのですから。

 国語に限らず、こうして学習を日々繰り返す、この言葉のやりとり自体が大きな言語トレーニングになっています。まだ関連していないところがあるとは言え、ずい分関連付けられてきてはいます。

 日常会話ももちろん言語トレーニングになっていますが、学習の場での言葉のやり取りは文字を通し、図を通し、またゆっくりと言葉を選んで進められますから、視覚的にも聴覚的にも、トレーニングの密度は日常よりも高いものとなります。

 しかも、日常では経験しないさまざまな世界を切り取って対象とする学習においては、日常では触れない言葉を経験することができます。そこからやがて、抽象的な言葉や概念的な言葉も獲得していくことが出来ます。

 叱らないで学習させる、ましてや楽しく学習をさせれば、子どもは聞く耳を持ち続けることが出来ます。反対に、学習を苦痛にするようになると、生徒さんはまるでスイッチを切るかのように脳の働きをストップさせてしまいます。

 お子さんの名答を楽しみ、一緒に笑いながら、学習に取り組んでいきましょう。その方が脳はいっそう活性化されてずっと効果があがります。

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319.宿題:叱らないで・・

319.宿題:叱らないで・・

「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 宿題を渡すときに、いつも親御さんに申します、「分からないところがあったらそのまま持ってきて下さい。決して叱らないでくださいね」。

 宿題に限らず、家庭学習のコツ:
・分からなくても叱らない
・分からなかったら、答を見て書かせる
・分からなかったら、教えてあげる

こんなやり方だと学習についていけません、と思われるかもしれません。
普通学級ではどんどん先に進んでしまうんですよ、と思われるかもしれません。
甘やかしていると他の生活までわがままになります、と思われるかもしれません。

 しかし、そんなことはありません。教育においては「急がば回れ」ということが功を奏すことがあります。叱りながらやらせても、何ひとついいことはありません。つい先日、ひとりの小6の生徒さんと国語の学習をしながら、「ずい分じっくり取り組めるようになったな・・・」と思いました。

その日は、ふだんより少し事細かに語彙の意味に触れてみました、

「暖冬って何?」「暖かい冬」、「そうだね」
「じゃあ、自らは?」「自分から」、「うーん、そうだね」
「じゃあ、長男は?」「長い男の子」、お互いに笑い。自分でも変だと思ったのでしょう。
「○○くんは、長男だけど、長い男の子?」・・・また笑い。

 それから、図を描きながら長男・次男・三男、長女・・・の説明をしたり。一人っ子のこの生徒さんにはイメージしにくいところもあったので、お母さんの兄弟のことを尋ねてみたり。でも、よくわからない様子。そこで、
「○○くんには、おじさんっている?」「・・・?」
「○○くんには、おばさんっている?」「・・・?」
「おばさん? あの60才くらいの人がおばさんかな?」「・・・それは、おばあちゃんでしょ・・」
しだいに、おばあちゃんとおばさんとが混乱してきます。

 幼児期から、語彙数の少ないことが気になり、言葉による表現や理解に問題を持つ生徒さんです。今でも時折、こんなふうに当然分かっているかなと思われるところが未獲得であったり、文意の通じにくいところがあります。でも、教室でもご家庭でも叱らずに穏やかに学習に取り組ませてきましたから、言語のハンディを有しながらも、小6の課題に取り組めています。

 しかも、決して投げやりになることなくイライラすることもなく・事細かに問われても、むしろ自分なりに一生懸命に考えようとする姿勢があります。「しらない」「わからない」と片付けてしまうことはありません。

 叱らない教育がいかに大切であり、子どもを育て伸ばすか。この態勢はやはり、間違えではないと改めて感じ、気持ちをまた少し強くしています。

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316.ブロックを掴む!

316.ブロックを掴む!

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 昨日のケース会議でのことです。ある一人の生徒さんについて、「ブロックを把握する割合が増えた」という報告がありました。

 小さなブロックを掴むことなんて「誰でも出来ること」、と思われるかもしれません。しかし、ハンディをもつ生徒さんにとって、それは何年か越しでの成果なのです。提示された課題に注目し、何をすれば良いのか感じ取り、理解し、気持ちを動かし、それに従って手を動かし、指を動かし、そして掴む。神経が指先にまで及んではじめて可能となる行為です。体を支えながらの、全身集中の行為です。

 ですから、いつも出来るとは限りません。まだ、出来る「割合が増えた」という段階なのです。何回か前までは、「偶然かな?」と思われるくらいの確実性のない行為だったそうです。でも今では、「意図して掴んでいる!」と確信できます、とのことでした。

 「出来る」「出来ない」のイチゼロの尺度では、計ることの出来ないものがあります。特殊教育では、ゼロからイチの間の成果を見ていきます。それが、成果の「割合」です。とても小さな変化なのですが、とても大きな成果なのです。先の例でも、「指先にまで神経が及んだ!」ということは画期的なことです。そこからいろいろな可能性が広がってきますし、他の把握行動にはどんなものがあるかと、日常生活を見直す必要も出てきます。課題がどんどん出てきて、気持ちが高まります。

 小さな変化を見つけられる目、というものに私達は誇りを持ちます。その目があってはじめて、講師は生徒さんを心からほめながら、また自らも手応えを感じながら、喜びをもって指導に当たれます。

 イチゼロの尺度では、「今日も出来ませんでした」、「まだダメです」、となって、喜びも希望もなくなってしまいます。「数の理解、まだ不完全です」、「ひらがなの読み、完璧ではありません」ではなく、どこまで出来ているのか、ということの正確な把握が学習を次に進める力となります。

 行きつ戻りつしながらも、小さな変化に大きな成果を認め、親御さんとも共に喜びながらの日々です。

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315.ていねいに生活する

315.ていねいに生活する

「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 新聞の投稿欄に、「丁寧に生活する」というようなタイトルの本を見つけた、という内容のお話が載っていました。だから、丁寧に料理をし、丁寧に掃除をし・・・というようなことを書いておられました。投稿された方も、その見かけた本についてはうろ覚えだったようですが、この記事を読んだ私もこの記事についてうろ覚えのまま今、書いています。ですから、内容が正確であるかどうかは自信がありません。

 しかし、「ていねいに生活する」というのはとても良いですね。とても、魅力を感じます。いつも時間や追われ、いつもあくせくしている。楽しいどころか、必死で追いかけてようやく追いつくか、いくらやっても追いつかないような生活。そんな生活のくり返しでは、どこかで疲れて続かなくなってしまいます。

 朝の生活もゆっくりと、落ち着いてていねいに行いましょう。歯みがきも、着替えも、食事も・・・。

 出かけるときも、ゆっくりとていねいに、靴をはき、鏡を見て身だしなみを整えて、忘れ物がないか確認をして、ていねいに出かけましょう。

 職場や学校では、そんなていねいなことが許されないとしたら、一応テンポを周りに合わせて行動し、家に帰ったら、またゆっくりていねいに過ごしましょう。

 うがい、手洗い、ゆっくりていねいに行いましょう。おやつ、ゆっくり楽しく味わって食べましょう。

 勉強、ゆっくりていねいに適度な量を学習しましょう。あわてなければ、結構ていねいな字で、逆に結構な量の学習がはかどります。

 これなんです。いつも慌てていることが、学習の妨げとなっています。せかされなければ、また自らもあせってイライラしなければ、出来るのです。自分の出来るところから、少しずつていねいに学習していけば、分かるのです。

 しかし、このゆっくりていねいに、がなかなか出来ないのが現実です。どこかで、生活の仕切り直しをしましょう。土曜日か、日曜日、なるべく時間の拘束のない日が良いでしょう。ゆっくりていねいに日曜日をすごせれば、月曜日をゆっくりていねいに迎えることが出来るかもしれません。

 ゆっくりていねいに、いいことばですね。お母さん方、まず家事をゆっくりていねいに行ってみましょう。そうしたら、学校から帰ってくるお子さんをゆっくりていねいに迎えることが出来るでしょう。

 今朝のブログも、ゆっくりていねいに書きました。だから、とても楽です。コーヒーを飲む時間くらい、逆にゆっくりとれそうです。

 せわしい毎日、ゆっくりていねいに、がいつまで続けられるか分かりませんが、できるかぎり続けてみましょう。やがて、せわしい「いつも」に戻ってしまったら、またどこかで仕切りなおして、ゆっくりていねいに、に切りかえましょう。では、ゆっくりていねいに・・・。

 
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なかのひと

314.母子分離不安

314.母子分離不安

「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 先週末は、「人見知り」について考えてみました。「人見知り」は、母親と赤ちゃんとのしっかりした二者の関係が形成された証です。第三者によってその関係が崩される時に赤ちゃんは不安を覚えて、他者から目をそらしたり、母親にギュっとしがみついたり、ワッと泣き出したりします。それが「人見知り」です。そんな状況から、赤ちゃんが第三者を受け入れ世界を広げていくことが出来るのは、信頼できる母親の後ろ盾があってこそです。

 母子分離不安についても同様のことが言えます。母子分離は、お子さんがお母さんに支えられてこそ乗り越えていかれる課題です。

 何らかの状況で、基本的信頼関係(母子の二者関係)が確立していなかったり、いったん形成されていても何らかの事情でその関係が不安定になっていたり、またこれから立ち向かおうとする対象(入園だったり、新しいお稽古事であったり、お留守番であったり、初めての人であったり・・・)が、その子どもにとって乗り越えるには大きすぎる存在であったりするときに、母子分離不安は起こります。

 その時に必要なのは、叱ったり、励ましたりすることではありません。また、お母さんがこれまでの子育てに問題があったのかと悩むことでもありません。状況に即して、母子分離できるように支え、共に乗り越えていってあげることです。

 では、具体的にはどうしたらよいでしょうか?

・まずは、お母さんが不安にならないことです。と言われても難しいかもしれませんが、自分にも、お子さんにも「だいじょうぶ」と言ってあげましょう。

・就園やお稽古ごとの開始のように、時期が予測できるものであれば、少しずつ準備していきましょう。
 言っても分からないだろうと決めつけるのではなく、「春から幼稚園に行くのよ、楽しみね」「こんどから、○○へ行くのよ、楽しみね」と折に触れ楽しそうに予告していくことです。可能であれば、幼稚園などに足を運んでどんなところか見せてあげましょう。

・就園に際しては、園側でも慣らし保育の期間を設けるでしょうが、ご家庭でも一人で過ごす場や時間を短時間ずつ体験させていきましょう。
 母親の姿が見えない部屋での一人遊び・お父さんとの外出・お父さんとのお留守番・同居ではないおばあちゃんとのお出かけ・おばあちゃんとのお留守番・・・など。

・既に就園され、毎朝泣いているようでしたら、帰宅したときに充分に身体的接触をもって気持ちを充足してあげましょう。
 甘やかしすぎ?、というような心配は要りません。甘やかしすぎるくらいで、結構です。「ひとりでがんばってるね」とか「あしたは、泣かないで行けるよね」というような言葉かけも不要です。朝の不安と翌日への心配をかえって増長するようなものですから。

・お稽古ごとなどで、母子分離の猶予が可能な状況であれば(当教室もそうですが)、無理やりに引き離さないことです。
 「今日はひとりでやるのよ」ではなく、「ママもいっしょに行こうかな?」くらいの言葉がけをしてあげた方が、結果的には早く母子分離できます。子どもが「離れたくない、離れたくない」と言っているときに、親御さんの方が「離そう、離そう」とすると、子どもはいっそう離れなくなってしまうものです。

 不安がなくなったら、または不安より楽しさの方が勝っていたら、またお母さんとの関係に充分満足したら、お子さんは自ら離れていきます。こちらの教室でも、その時間は、お母さんの存在を忘れてしまうくらい魅力的な授業にしていきたいと日頃から思っています。

 教室で、お母さん以外の他者(講師)を信頼し、コミュニケーションを楽しめるようになることは、母子分離トレーニングから始まり、他者との関係性を広げ育む良い機会ともなっています。

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313.人見知り

313.人見知り

「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 今日の教室ブログは、「母子分離」のお話です。その前にここでは、「人見知り」ついて考えてみましょう。「人見知り」も「母子分離不安」もお母さんがお子さんと共に越えていってあげるべき、大切な課題だからです。

 子どもは、母親への強い愛着があって育ちます。母親との身体的、心理的関わりによって、生涯にわたって人間関係の基礎となる「信頼」を獲得します。母親と肌で接する幼児期は、この「信頼」を育てる上でとても大切なステージです。

 生後数ヶ月から1歳くらいで訪れる「人見知り」は、そんな関係の中で幼児が五感を総動員して母親を認知・認識した証です。母親以外の人の出現によって、自分の認知・認識した母親との安定感、自己と母親という二人で完結している世界が破られたときに起きるものです。母子関係が希薄だったり、発達障害など何らかの条件で母親の認知・認識が確立しにくいときには、「人見知り」は起きません。母親であろうと誰であろうと、見境がないからです。

 「初めての信頼できる他者」である母親への認識があってこそ、「人見知り」は起きるものです。ですから、「人見知り」は母親として誇りに思っていいのです。「人見知り」をさせないのではなく、むしろ「人見知り」をしたときにどうしてあげるかが大切なのです。

 大好きな母親に抱かれながら、またやさしい言葉がけをされながら、幼児は母親以外の他者を知っていきます。安心できる母親の腕の中で守られていてこそ、初めての他者、新しい他者に興味を示し、自己の世界を少しずつ広げていくことが出来るのです。

 初めての人との恐怖を、「大丈夫よ」とやさしくことばがけしながら越えさせていってあげましょう。母親と密着している安心な状況であれば、幼児は新しい他者にまず視線を向けることができます。しだいに手を伸ばし、やがては抱かれることも出来るようになります。こうして、幼児の世界は少しずつ広がっていくのです。

 突然なじみのないおばあちゃんに預けられて、「じゃあ、ママ行ってくるわね。バイバイ」と母親がいなくなってしまっては、幼児が泣き叫んでも当然です。まさに、引き裂かれるような思いでしょう。

 母子分離にも同様のことが言えます。(つづく)

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312.好きこそものの・・・(2)

312.好きこそものの・・・(2)

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(つづき)ここでこんなお話をするのは、先日土曜日の授業で、そんなことを改めて認識したからです。

 教室の一人の生徒さん、長年気に入っているアニメがあります。アニメの中のせりふを諳んじてしまうほどです。今ではそのアニメを話題にすることによって、時に不安定になった心理状態を回復させたり、気持ちを切り替えたりすることも出来ます。また、アニメの主人公への感情の移入によって、自らの感情も育まれていっているです。

 今、授業では「人物」をテーマに絵画に取りくみ、粘土では「女の子」を作っています。自分自身を作るつもりで取りかかったのですが、形を作っている間に、その生徒さんの中でその女の子は大好きなアニメの主人公になっていっていきました。

 主人公の名前を口にし、「かわいい」と言いながら制作しています。それも、こちらに話しかけ、同意を得ようとしているような言い方です。ですからこちらも、「ほんと、かわいいわね」と自然に応えます。

 オーム返しがあったり、脈絡のない言葉が飛び出すような傾向のある生徒さんですが、この「かわいい」は自分の気持ちや意を言葉として発しているものです。イントネーションや表情から、それがわかります。粘土成形しながら「りぼん」「赤」と、さらに自分の意向を表現して伝えてきます。髪の毛には、赤いリボンもつけよう、ということです。

 ならば、その主人公を描いてみようと、大きな画用紙での絵画にも取り掛かかりました。絵画でもやはり、「○○ちゃん」と主人公の名前を言いながら。まず、顔のまるをていねいに描きました。首、からだ、手足、顔の部位、といつになくゆっくり(適度なテンポで)納得しながら描いていきました。

 この生徒さん、クレヨンで描いたり、絵の具で塗ることは幼児の頃から好きでした。「うさぎ」「ねこちゃん」「りんご」・・・と描くものへの興味もありましたが、それよりは、クレヨンでとにかく描く、筆を動かしたら色がついた、一部の隙間が出来ることも許さず、完璧に塗りつくす、それが出来上がったら満足するといった傾向のほうが強かったように思います。

 線があれば、とにかくなぞる。テキストの問題文までなぞってしまうほどです。とにかく、「線・形・文字」=「なぞる」、というように反応してしまうのです。

 ところが、その日の描画は違っていました。「大好きな○○を描く」「○○を描くことがうれしい」といった描きようだったのです。「課題にはしっかり取り組む」という生真面目な表情ではなく、本当に心が動き、心の動きが描画となっているといった感じです。

 中等部に進級して、学校での生活も穏やかに行われているのでしょう、これまでの学習の積み重ねなどちょうど良い状況や条件が相俟って、今何かが変わりだしたようです。

 好きこそものの・・・、この大好きなアニメがそのきっかけとなっていることは
まちがいありません。本人の好きなものをご家庭はじめ、周りの方々が大切にしてきてあげたからこその、成長です。

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311.好きこそものの・・・

311.好きこそものの・・・

「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 「好きこそものの上手なれ」という言葉がありますが、特殊教育においてはまさにこのことを実感する場面が多いのです。

 「好きなことしかやらない」とか、「自分勝手」とか、「わがまま」というのではなく、気持ちがふっと向いたもののにしか、知的な機能を働かせにくい、というところが発達障害の生徒さんにはあります。発達段階によっては、与えた情報や働きかけが伝わらずに、目の前をさっと通過してしまうような状況も常なのです。

 呼んでも返事をしない、振り向かない、というのも一例です。が、それは、決して無視しているのでも人嫌いなのでもなく、情報が情報として認識されていないのです。一見「自分勝手」に見える行動や対応も、実は本人の意を越えたものなのです。つまり無視する以前に、呼ばれているということ自体に心が反応していないのです。

 しかし、日々の人との交わりや学習の積み重ね、また日常の行動や運動によって、情報化の機能は徐々に増し、対応の幅が広がり、柔軟性が出てきます。その中でも、この「固執」が、脳の機能を育む大きな契機となっているということが大いにあるのです。ですから、そのプロセスにおいては、「固執」とも見えるような「好きなものへの集中」にも上手に付き合ってあげましょう。

 電車、アニメ、お気に入りの絵、はさみで切る、物を並べる、コレクション・・・、「またそれぇ?!」と思ってしまうこともあるでしょうが、その好みの世界を一緒に楽しんであげましょう。

 ここでこんなお話をするのは、先日土曜日の授業で、そんなことを改めて認識するようなことがあったからなのです。(つづく)

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310.料理を楽しむ

310.料理を楽しむ

「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 きのうは、祝日・体育の日でした。秋日和の連休を楽しまれたことと思います。

 教室に、「祝日は、わたしが料理をすることに決めています!」という生徒さんがいます。社会人になられてからでしょうか、もう何年か続いているようです。年に何回か、多からず少なからず、家族のために何かを行う、とても良い決まりごとですね。

 この体育の日のメニューは、「しょうが焼き・えのきとジャガイモのお味噌汁」だそうです。メニューの選択や調理には高等部での経験も役立っているようです。家族への配慮もあります、「柔らかいものでないとダメなんです。お父さんの歯が悪くなってしまって、痛くなってしまうからです」とのことでした。

 前もって授業で、このメニューの材料と分量を表にまとめてみました。さすがに経験を積んでいるので、材料は次々に思い浮かんできます。
「豚肉、それと野菜、レタスかキャベツとトマト!レタスがなかったら、キャベツにします!えのき、ジャガイモ、それからねぎです!味噌汁にはねぎ、これを忘れないで下さい!」、とても張り切っています。

 ですが調味料や分量になると、
「しょうが焼きのお味は、何でつけるの?」
「お味?しょうが焼きのお味?・・・お母さんに聞いてみます!」

「お味噌汁のおだしはどうやってとるの?」
「だし?・・・あっ、お湯をわかしてお母さんが袋をひとつ入れます!」

 家族の人数に合わせて、分量を表に記入していくことにしました。
「お肉は?」「・・・?」「200gから300gくらいね」
「レタスは?」「・・・?」「大きかったら、2、3枚ね」
「トマトは?」「6個」・・・「6切れ?ならば、1個か2個、ね」
「しょうがは?」「・・・?」「ひとかけ」「ひとかけって、何ですか?」
「えのきは?」「・・・?」「1パック」「1パック!」
「お味噌は?」「・・・?」「大さじ2杯くらい?」「大さじ、2杯!」
「おねぎは?」「・・・?」「少々」「少々!」

 単位もいろいろであれば、実にあいまいな表現が多いことにも気づきます。料理には、まさに見当と臨機応変が要求されます。

 どちらかと言うと、電車の運賃のようにカチッと決まった数が好きなタイプの生徒さんですが、楽しい料理では、こんなあいまいな数にも対応できそうです。また、「ひとかけ」「少々」、時によっては「お好みで」というますますあいまいな言葉にもじきに馴染んでいくことができるでしょう。

 かつて文章題で「足すのか・引くのか」に多少努力した生徒さんですが、料理は生きた数、相対的な数の経験としての絶好の場ですね。
 

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