364.冬休みの学習

364.冬休みの学習
「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 日数の少ない冬休み、その上に大晦日やお正月を除くと勉強する日なんて幾日もない、と思われるかもしれません。でもその少ない幾日かでも、決めた時刻に決めた学習を行っていきましょう。

 そのためには、学習内容をあまり広げずに目標を絞って行うことです。たとえば、
・~までの計数
・足し算(または引き算)
・掛け算(または割り算)
・比較の文章題(どちらがいくつ多いでしょう?)
・国語の教科書の読み(音読)
・決めた単元の漢字の読み
・在籍学年よりもやさしい読解問題・・・

 答を端から覚えてしまうような特別に記憶の良いタイプでなければ、毎日同じワークでもいいのです。短い学習期間を生かすためには、とにかく学習内容を広げずに的を絞ることです。同じ問題にくり返し取り組ませて、「出来た」「わかった」「こういうことなのか」という納得感を得させることが一番の目的です。

 いつも「分かりきらないこと」を来る日も来る日も繰り返して、とにかく勉強している、というのではあまりにむなしい学習です。学習が習慣になっていることは評価すべきことですが、やはり「理解できる」「分かる」学習でなくては、どこかで学習の継続が途切れてしまいます。やる気を失ってしまいます。

 追われる勉強から、積極的に取り組む態勢作りのためには、この冬休みはひとつチャンスです。目標をひとつに定めて、本当の力をつけましょう。それが、3学期からの勢いとなります。

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363.無理なく、普通に

363.無理なく、普通に
「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック研究所

 終業式、クリスマス、そして明日から冬休みですね。ここ1,2週間少しゆっくりと過ごすことができたら、このあたりで少しずつ学習を再開しましょう。と言っても、「また明日から勉強~?」とならないように、ゆったりとした気分の中で規則的に、こつこつと学習を重ねていきましょう。

 学習の導入には、なにかきっかけを作ってあげましょう。
・きれいなノート
・あたらしい鉛筆や消しゴム
・きれいに片付けた机
・お楽しみのおやつ
・ごほうびの遊び
・やさしそうな課題から
・得意な課題から

 何でも導入が大切です。お子さんにフィットするやり方を選んであげてください。お子さんをよく把握していらっしゃる親御さんの方が、上記の他にもっといい案が浮くかもしれませんね。

 導入できたら、あまり長く行わないことです。お子さんがそわそわしてきたら、また疲れを見せたら、適当なところで終わりにしましょう。何分くらいがんばれるのかおおよそを計って、毎日の学習時間の基準にしましょう。

 また、生活の中でどの時間に学習をするかを一応決めておきましょう。その時刻をお子さんにも伝えておきましょう。突然、「さあ勉強よ」と言われるより、「そろそろ勉強の時間だ」とお子さん自身が気持ちの用意が出来ている方がスムーズに勉強に取り掛かることができるからです。

 難しい課題に出くわしたら、やさしく教えてあげましょう。いっしょにやってあげればいいのです。ここ1,2週間のゆったりとしたいい時間、いい関係を大切にしながら、学習を進めてください。どんなにいい状況も、崩すのは簡単です。叱り付けたりしたら、いい関係も簡単に崩れてしまいます。だから、それを崩さないように大切にしながら、無理のない範囲で学習を進めていきましょう。

 無理なく、普通に学習を続けていけばお子さんはかなりの力を発揮します。この約束に忠実になさった親御さんからは、
「こんなに伸びるとは、思いませんでした・・・」との声も聞かれています。
ですから、どうぞ無理なく、普通に・・・。

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352.コミュニケーション 3つの気づき

352.コミュニケーション 3つの気づき
「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 ここ数日にわたって、「言葉」「コミュニケーション」ということに触れてきました。少し振り返り、まとめてみます。

・コミュニケーションは、「言葉がある」「言葉がない」という二元論的な問題ではないということ。
・音声や文字で表される明確な言葉の前提として、「言葉以前の言葉」が存在するということ。
・コミュニケーションは、その「言葉以前の言葉」に気づくことから始まるということ。

 これらのことに気づいて、教育にあたれるか、また子育てにあたれるか、また人との交わりをもてるかによって、コミュニケーションの成長には大きな違いが出てきます。コミュニケーションは、一人称と二人称との双方で作り上げていくものです。双方の気づきあい、受けとめあいによって成立します。

 子どもが発しても発しても受けとめてもらえなかったら、子どもは発する方向性を失い、発することをやめてしまいます。意図的にやめるわけでなくても、発する勢いというようなものが萎えてしまいます。

 子どもの表情やたたずまいを感じ、読み取りましょう。子どもは顔で話し、顔で聞く、そんな印象をもちます。口で話し、耳で聞く、というより存在自体で何かを発し、存在自体で何かを受け止めているようです。

 講師や親御さんの立場からは、子どもの存在や息遣いをこちらから感じ、それに流れを起こし、方向性を持たせてあげましょう。そして、それを引き出す、発することができるようなきっかけ作りをしてあげましょう。

 そのためには、相手のなかにこちらから、まなざしや表情や仕草や、しずかな言葉でもって入っていくことです。これは、とても繊細でやわらかな働きかけです。

 でも時にこんな気持ちで、おだやかなゆったりとした時間をもってみましょう。 

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351.話したい・書きたい

351.話したい・書きたい
「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 自分の中から溢れるように表出する言葉、それは話し言葉だけではありません。書き言葉もあります。

「・・・お母さんはいつも毎日優しくて、いきなり怒られて、家族や親戚まで怒られました。
 おじいちゃんの面倒を見ていた。ところがお母さんは勉強をしないでおじいちゃんから怒られた。
 勉強しないでおじいちゃんに怒られて今度はお母さんがすごく怒ったのに、
 人を怒られるのがいやだなあと皆さんには迷惑をかけて申し訳けありません・・・」

 生徒さんがパソコンに打ち込んだ長い文章の一節です。この話は、日頃から口頭でもよく出てきます。文法的には接続詞や副詞も適度に出てきて受動態も使いこなしていますが、主語と述語の組み立てや助詞が適切でないために伝わりにくく、推測しなくてはならないところがあります。

 しかし、この生徒さんの息遣いや気持ちの流れ、勢いといったものはしっかり伝わってきます。本来のこの生徒さんのユーモラスな面も感じられ、文章自体はかなり怒っているのですが、最後で「ふっ」と笑ってしまいます。

 もちろん、言語学習としては赤ペンを入れなくてはならない箇所がたくさんあります。また講師としては、
「これまで、なに指導してきたの?」と咎められそうですね。でも、
「ここまで育ったんですよー!」と誇りたい気持ちもあります。

 赤ペンを入れることも必要です。しかしその大前提として、まず書き手の心を受け止めましょう。その心を受け止めたら、こちらも心から返しましょう。それが、コミュニケーションです。

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350.コミュニケーションって

350.コミュニケーションって
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 言語学習とコミュニケーション学習とは重なるところがありながら、異なるところがあります。もちろん言語を用いないノンバーバルナコミュニケーションもあります。しかし、通常のバーバルコミュニケーションにおいても、言語学習イコールコミュニケーション学習ではないのです。

 言語があってはじめてコミュニケーションが成立するとすると、やはり言語のない生徒さんとはコミュニケーションが出来ない、ということになってしまいます。すると、数日前にお話した研修生のように、「あのお子さんは言葉がないので・・・」ということになってしまうのです。

 発語のまだない生徒さんとも、言語を通してコミュニケーションをしていきましょう。生徒さんの息遣いを感じながら、生徒さんの存在を感じながらコミュニケーションをとっていけば、伝わります。生徒さんからも、返答や語りかけがあります。生徒さんからの返答や語りかけ感じとっていきましょう。

 「語る」とは、また「相手に言葉をかける」とは、思いや気持ちを相手に橋渡すことです。人は感情が動くときに言葉を発します。ですから、構音や文法能力がまだ発達しきらなくとも、また十分に備わっていなくとも、話したくてたまらないという生徒さんたちがいます。それほどの気持ちの動きや流れのあることは、私はとても良いことだと思います。

 多くの生徒さんはそんな時、言葉の前段階の声を出します。笑い声を立てる場合もあります。中には、抑揚だけで話すような段階もあります。幼児期のジャーゴンもその一つです。語彙も構音や文法能力もまだ不十分であるのに、一人前に話をしようとしている状態です。絵で言えば、なぐり描きの段階です。文字でもそうです。大人気取りで鉛筆を持ってめちゃくちゃ書きをしている段階です。

 でもその気持ち、志向、勢い、発信を大いに認めて、応えていってあげたいものです。教育に携わる立場では、このようなコミュニケーションの本質的なあり方に感じ、気づいていきたいものと思います。

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349.語りかける

349.語りかける
「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 日曜日の新刊の欄(2009年12月6日読売新聞)に、山折哲雄「いま、こころを育むとは」が取り上げられていました。書評の冒頭に、「・・・全共闘の息の根をとめたのは、俵万智『サラダ記念日』だと説く」とあり、「えっ、どういうこと?」と思いつつ続きを読むと、その意図するところがすーっと浸透してきました。

 少々長くなりますが、私の拙文ではお伝えしきれないものですので引用させていただきましょう、
「・・かつて紛争の嵐が吹き荒れたキャンパスで聞く学生の演説は、なぜ、心に響いてこなかったのか。それは、五七調や七五調と違う[われわれは、日帝の]式の”五五調”だったから。万葉集に始まる和歌のリズムこそが、日本人の呼吸や生命の根源なのではないか。女性歌人の人気沸騰の陰には、あのリズムの回復を待望する国民の<渇くような思い>があったはずだ」

 学生運動の真っ只中だった頃、私は小学生でした。何かの雑誌の取材で学校で数人が選ばれ、インタビューに応じたことがあります。そこでどういう質問に対してであったかは忘れましたが、私が「全学連のー、ことはー、よくー、わかりませんがー、・・・」と何らかの返答をしたようです。その語調がこっけいだったのか、その後、父にさんざ茶化されたのでこの何語かだけが今でも思い出されます。

 その頃のテレビニュースを見ていて、彼らの”五五調”のようなものが移ってしまったのでしょうか。語調というのは、すぐに人に移りやすいものです。それと同時に彼らの気持ちの高揚のようなものも多少入り込んでしまっていたのかもしれません。「学生運動」と聞くと、語調も気持ちの持ちようもパッと切り替わってしまうのです。言葉には、良くも悪くもそんな力があります。

 いかがでしょう?私はさらに、日頃の授業での生徒さんへの言葉かけも振り返りました。
「さあ、数えるよ!よく見て!ずれないように!1、2、3、・・はい、ぜんぶで!」と一方的に言葉を発していることはないでしょうか?
ご家庭ではいかがでしょうか?
「さあ、時間よ!かばん持って!くつはいて!ほらっ、よく見て!」と一方的に言葉を発していることはないでしょうか?
生徒さん、お子さんはどんな言葉を渇望しているのでしょう。

「なぜ、心に響いてこなかったのか」・・・日常で五七調や七五調で言葉をかけることは難しくとも、呼吸や生命の根源をふと意識することはとても大切なことですね。「数えるよ!」「算数!」・・・と聞いただけで、生徒さんの気持ちがパッと堅く切り替わってしまうことがないように。むしろ「先生といっしょだからわかるよ」と生徒さんの中に安心感と意欲・興味がひろがるような言葉がけを日頃からこころがけたいものですね。

 
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348.伝わってる?

348.伝わってる?
「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 私達は通常、分からないと思って話しかけているのではなく、わかるだろう、伝わっているだろう、という前提で話しかけています。

 たとえば母親は、言葉をはじめて耳にする赤ちゃんにも、伝わっているということを疑わずに話しかけています、「おはよ!」「いい子ね~」「おいしいおいしい」・・・などと。だから赤ちゃんは、やがて言葉を獲得していくのです。

 人間には、文法を獲得して言語を繰る機能が生得的に備えられているとは言え、思いをかけて話しかけられることなしでは、言語機能は育ちません。

 私達は、犬やネコ、ペットにも同じ思いで話しかけます。時には、花や木に話しかけることもあるかもしれません。それは、犬やネコ、植物に生き物としての共感性持つからです。子どもは、物に対しても話しかけることがあります。子どもには、物にも命があるような感覚があるのでしょう。それは、全てのもに霊(anima)が宿るというアニミズムに通じるものです。何れも、言葉よりも、気持ち、気息、生気といったものが優先されているコミュニケーションです。

 私自身、発語のある生徒さんにもまだ無い生徒さんにも同じように言葉を通してコミュニケーションをとります。その時、生徒さん自身に発語が有るか無いかは意識に上っていません。今こうして改めて振り返れば、「同じように」と言っても、
無意識のうちに、こちらも声の出し方やテンポを調整しているのだと思います。同時に、表情や仕草や動作も変えているでしょう。

 一方的に、機械的に投げかけた言葉は届かなくても、共感性を伴って発した言葉は伝わります。日々の生徒さんとのコミュニケーションにおいては、こちらの言葉の働きにも磨きがかけられます。

 

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347.言葉って?

347.言葉って?
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 「○○くんは、言葉がないから」とか、「○○ちゃんは、話さないんです」、というような発言を研修セミナーで時おり耳にすることがあります。しかし、生徒さんが言葉を発しないからと言って、コミュニケーションが成立しないわけではありません。

 きのうこのブログで、ワシントン大学法の講演会の時のお話をしました。そこで行われた、ダウン症児のための早期プログラムのデモンストレーション。日本のダウン症のお子さんを対象に行われたのですが、もちろん、v.ドミトリーブ先生は英語で話しかけられました。お子さんにとっては、おそらくはじめての英語です。しかし、コミュニケーションは成立し、プログラム課題は先生の意図されたように進められました。

 「どうせ英語は分からないだろう」と言うような思いはまずもたれず、そのまま英語で指導されました。言葉を介しながら、目を見て、表情や動作で先生の意図することを示していきます。英語自体は分からなくても、言葉は通じるのです。言葉とは、そういうものです。

 今朝の教室ブログは、「気持ちをことばにのせて」というテーマでしたね。まさに、そのとおりです。「気持ち」以前の、「意識」をのせて、「生気」をのせて、と言ってもいいかもしれません。北原白秋の詩集にもありました、生まれて程ない赤ちゃんの息に新しい命の生気を感じるといった詩が(どこかで出会った詩で、出典が不明なのですが)。

 コミュニケーションの原点は、自己と他者が生気を交わすことにあります。

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346.失敗させないように

346.失敗させないように
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 もう20数年ほど前のことになりますが、ダウン症児の早期プログラムを実践し世界的に普及されたv.ドミトリーブ先生を研究所にお招きして講演会を行ったことがあります。講演の中で、教室のダウン症の生徒さん(4才位だったでしょうか)が
ステージに上がって、先生にプログラムのひとつを実践していただきました。

 課題は、積み木をカップに入れることだったか、なにかものを取り出すことだったかは忘れてしまいましたが、はじめての子どもに対してもまるで前からよく知っている子どもであるかのような対応ぶりで、先生の優しいまなざしと子どもさんのかわいらしさだけが今も印象として残っています。ほんの数分ですが、広い会場のステージに作り上げられた、先生と子どもさんのあたたかい世界が記憶の中に浮かんできます。

 その先生がおっしゃったことで、今でも日々の授業の中で思い起こされることがあります。それは、課題に対して子どもが失敗しないように指示をしましょう、ということです。

 たとえば色の取り出しで、赤・青・黄・緑の4つの積み木を並べて、「○色の積み木をください」という課題があります。その時にまず、一つずつ積み木を指で触れながら、そして子どもの視線を確認しながら、「これはあか」、次の積み木に触れながら「あお」、次の積み木に触れながら「きいろ」・・・といっしょに確認をしていきます。そして、さいごに確認した色の取出しからさせるのです。

「これは、あか、あお、きいろ、みどり。さあ、みどり ください」という具合に。

 数の学習においても、文字の学習においても同じことです。基礎学習に限らず、教科の学習やその先の学習についても言えるでしょう。熱心になるがゆえに、「これは?」とか「どっち?」とか「よく考えて!」とか迫りがちですが、ことに「学習」というもの自体への導入の段階では、ゆっくりとじっくりといっしょに課題にとりくんであげましょう。ものを並べたり、入れたり、取り出したり、ものの操作をいっしょに行ってあげましょう。しだいに手は添えなくても、気持ちはいっしょに行ってあげましょう。

 ことばよりも態度とまなざしで指示をしていきましょう。先ほどのステージでの子どもさんとのコミュニケーションも日本の子どもに対して、先生は英語でなされたのですから。

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345.1個ずつ、1個ずつ

345.1個ずつ、1個ずつ
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 秋から初冬の今、落ち葉拾いやどんぐり集めは、太陽の光を浴び、ピリッとした空気や風の冷たさを感じる格好の楽しみとなります。それと同時に、数の存在を感じ、数感覚を育むとても良い機会ともなります。

 机の上に積み木やミニチュアの果物などを並べて、いきなり「これはいくつ?」と尋ねたり、「~を ○つください」などと指示を出して数の理解をさせようとしても、なかなか数概念を獲得できないことが多いものです。心理テストで数の理解度を測るのならばそれでもよいのですが、数概念を育てるための学習として行うのならば、これは得策ではありません。

 数えることを求めたり、合計数を答えさせようとする前に、1個ずつ、1個ずつというものの操作やものの移動を遊びとしてたくさん行いましょう。カップの中に何かものを全部入れる、入れたらまた全部出す、そしてまた入れる、また出す・・・、ものの増えたり減ったりを自分の操作を通して心いくまで体験させるのです。

 発達テストの中に、カップの中に積み木を10こ入れさせたり、ものを並べて遊ぶようなことがあるかどうかを尋ねたりする項目があります。たいていの幼児は幼児期に、自然に遊びとしてそんなことを行っているからです。そんな遊びを通して、数感覚を獲得していっているのです。

 発達テストことにスクリーニングテストは、まずは被検児が通常の基準どおりに発達しているかを測るものですから、通常の幼児が発達のプロセスでたいてい行うこと自体がテスト項目となっています。言い換えれば、発達テストで問われる課題はたいていの幼児が通過していく課題です。

 ハンディのあるお子さんは、幼児期にまだ手先が器用でなかったり、集中力が十分でなかったり、ものの認知が明確でなかったりするために、このような遊びの時期を通過することなく、いわゆる「数学習」へと突入してしまうことがあります。ですから、いっそう数学習の進みが鈍くなってしまうのです。悪くすると、数ぎらいにさせてしまいます。

 数ぎらいにさせずに、1ステップずつ数の学習を進めていくためには、このたいていの幼児が行う遊びを十分に行うチャンスを作ってあげましょう。尋ねたり指示したりと迫らずに、ものを移動させたりものを並べたりすることを一緒に楽しんであげましょう。このような遊びの中で、数学習にとって不可欠な数感覚が育まれていくのです。

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