352.コミュニケーション 3つの気づき

352.コミュニケーション 3つの気づき
「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 ここ数日にわたって、「言葉」「コミュニケーション」ということに触れてきました。少し振り返り、まとめてみます。

・コミュニケーションは、「言葉がある」「言葉がない」という二元論的な問題ではないということ。
・音声や文字で表される明確な言葉の前提として、「言葉以前の言葉」が存在するということ。
・コミュニケーションは、その「言葉以前の言葉」に気づくことから始まるということ。

 これらのことに気づいて、教育にあたれるか、また子育てにあたれるか、また人との交わりをもてるかによって、コミュニケーションの成長には大きな違いが出てきます。コミュニケーションは、一人称と二人称との双方で作り上げていくものです。双方の気づきあい、受けとめあいによって成立します。

 子どもが発しても発しても受けとめてもらえなかったら、子どもは発する方向性を失い、発することをやめてしまいます。意図的にやめるわけでなくても、発する勢いというようなものが萎えてしまいます。

 子どもの表情やたたずまいを感じ、読み取りましょう。子どもは顔で話し、顔で聞く、そんな印象をもちます。口で話し、耳で聞く、というより存在自体で何かを発し、存在自体で何かを受け止めているようです。

 講師や親御さんの立場からは、子どもの存在や息遣いをこちらから感じ、それに流れを起こし、方向性を持たせてあげましょう。そして、それを引き出す、発することができるようなきっかけ作りをしてあげましょう。

 そのためには、相手のなかにこちらから、まなざしや表情や仕草や、しずかな言葉でもって入っていくことです。これは、とても繊細でやわらかな働きかけです。

 でも時にこんな気持ちで、おだやかなゆったりとした時間をもってみましょう。 

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351.話したい・書きたい

351.話したい・書きたい
「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 自分の中から溢れるように表出する言葉、それは話し言葉だけではありません。書き言葉もあります。

「・・・お母さんはいつも毎日優しくて、いきなり怒られて、家族や親戚まで怒られました。
 おじいちゃんの面倒を見ていた。ところがお母さんは勉強をしないでおじいちゃんから怒られた。
 勉強しないでおじいちゃんに怒られて今度はお母さんがすごく怒ったのに、
 人を怒られるのがいやだなあと皆さんには迷惑をかけて申し訳けありません・・・」

 生徒さんがパソコンに打ち込んだ長い文章の一節です。この話は、日頃から口頭でもよく出てきます。文法的には接続詞や副詞も適度に出てきて受動態も使いこなしていますが、主語と述語の組み立てや助詞が適切でないために伝わりにくく、推測しなくてはならないところがあります。

 しかし、この生徒さんの息遣いや気持ちの流れ、勢いといったものはしっかり伝わってきます。本来のこの生徒さんのユーモラスな面も感じられ、文章自体はかなり怒っているのですが、最後で「ふっ」と笑ってしまいます。

 もちろん、言語学習としては赤ペンを入れなくてはならない箇所がたくさんあります。また講師としては、
「これまで、なに指導してきたの?」と咎められそうですね。でも、
「ここまで育ったんですよー!」と誇りたい気持ちもあります。

 赤ペンを入れることも必要です。しかしその大前提として、まず書き手の心を受け止めましょう。その心を受け止めたら、こちらも心から返しましょう。それが、コミュニケーションです。

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350.コミュニケーションって

350.コミュニケーションって
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 言語学習とコミュニケーション学習とは重なるところがありながら、異なるところがあります。もちろん言語を用いないノンバーバルナコミュニケーションもあります。しかし、通常のバーバルコミュニケーションにおいても、言語学習イコールコミュニケーション学習ではないのです。

 言語があってはじめてコミュニケーションが成立するとすると、やはり言語のない生徒さんとはコミュニケーションが出来ない、ということになってしまいます。すると、数日前にお話した研修生のように、「あのお子さんは言葉がないので・・・」ということになってしまうのです。

 発語のまだない生徒さんとも、言語を通してコミュニケーションをしていきましょう。生徒さんの息遣いを感じながら、生徒さんの存在を感じながらコミュニケーションをとっていけば、伝わります。生徒さんからも、返答や語りかけがあります。生徒さんからの返答や語りかけ感じとっていきましょう。

 「語る」とは、また「相手に言葉をかける」とは、思いや気持ちを相手に橋渡すことです。人は感情が動くときに言葉を発します。ですから、構音や文法能力がまだ発達しきらなくとも、また十分に備わっていなくとも、話したくてたまらないという生徒さんたちがいます。それほどの気持ちの動きや流れのあることは、私はとても良いことだと思います。

 多くの生徒さんはそんな時、言葉の前段階の声を出します。笑い声を立てる場合もあります。中には、抑揚だけで話すような段階もあります。幼児期のジャーゴンもその一つです。語彙も構音や文法能力もまだ不十分であるのに、一人前に話をしようとしている状態です。絵で言えば、なぐり描きの段階です。文字でもそうです。大人気取りで鉛筆を持ってめちゃくちゃ書きをしている段階です。

 でもその気持ち、志向、勢い、発信を大いに認めて、応えていってあげたいものです。教育に携わる立場では、このようなコミュニケーションの本質的なあり方に感じ、気づいていきたいものと思います。

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349.語りかける

349.語りかける
「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 日曜日の新刊の欄(2009年12月6日読売新聞)に、山折哲雄「いま、こころを育むとは」が取り上げられていました。書評の冒頭に、「・・・全共闘の息の根をとめたのは、俵万智『サラダ記念日』だと説く」とあり、「えっ、どういうこと?」と思いつつ続きを読むと、その意図するところがすーっと浸透してきました。

 少々長くなりますが、私の拙文ではお伝えしきれないものですので引用させていただきましょう、
「・・かつて紛争の嵐が吹き荒れたキャンパスで聞く学生の演説は、なぜ、心に響いてこなかったのか。それは、五七調や七五調と違う[われわれは、日帝の]式の”五五調”だったから。万葉集に始まる和歌のリズムこそが、日本人の呼吸や生命の根源なのではないか。女性歌人の人気沸騰の陰には、あのリズムの回復を待望する国民の<渇くような思い>があったはずだ」

 学生運動の真っ只中だった頃、私は小学生でした。何かの雑誌の取材で学校で数人が選ばれ、インタビューに応じたことがあります。そこでどういう質問に対してであったかは忘れましたが、私が「全学連のー、ことはー、よくー、わかりませんがー、・・・」と何らかの返答をしたようです。その語調がこっけいだったのか、その後、父にさんざ茶化されたのでこの何語かだけが今でも思い出されます。

 その頃のテレビニュースを見ていて、彼らの”五五調”のようなものが移ってしまったのでしょうか。語調というのは、すぐに人に移りやすいものです。それと同時に彼らの気持ちの高揚のようなものも多少入り込んでしまっていたのかもしれません。「学生運動」と聞くと、語調も気持ちの持ちようもパッと切り替わってしまうのです。言葉には、良くも悪くもそんな力があります。

 いかがでしょう?私はさらに、日頃の授業での生徒さんへの言葉かけも振り返りました。
「さあ、数えるよ!よく見て!ずれないように!1、2、3、・・はい、ぜんぶで!」と一方的に言葉を発していることはないでしょうか?
ご家庭ではいかがでしょうか?
「さあ、時間よ!かばん持って!くつはいて!ほらっ、よく見て!」と一方的に言葉を発していることはないでしょうか?
生徒さん、お子さんはどんな言葉を渇望しているのでしょう。

「なぜ、心に響いてこなかったのか」・・・日常で五七調や七五調で言葉をかけることは難しくとも、呼吸や生命の根源をふと意識することはとても大切なことですね。「数えるよ!」「算数!」・・・と聞いただけで、生徒さんの気持ちがパッと堅く切り替わってしまうことがないように。むしろ「先生といっしょだからわかるよ」と生徒さんの中に安心感と意欲・興味がひろがるような言葉がけを日頃からこころがけたいものですね。

 
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348.伝わってる?

348.伝わってる?
「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 私達は通常、分からないと思って話しかけているのではなく、わかるだろう、伝わっているだろう、という前提で話しかけています。

 たとえば母親は、言葉をはじめて耳にする赤ちゃんにも、伝わっているということを疑わずに話しかけています、「おはよ!」「いい子ね~」「おいしいおいしい」・・・などと。だから赤ちゃんは、やがて言葉を獲得していくのです。

 人間には、文法を獲得して言語を繰る機能が生得的に備えられているとは言え、思いをかけて話しかけられることなしでは、言語機能は育ちません。

 私達は、犬やネコ、ペットにも同じ思いで話しかけます。時には、花や木に話しかけることもあるかもしれません。それは、犬やネコ、植物に生き物としての共感性持つからです。子どもは、物に対しても話しかけることがあります。子どもには、物にも命があるような感覚があるのでしょう。それは、全てのもに霊(anima)が宿るというアニミズムに通じるものです。何れも、言葉よりも、気持ち、気息、生気といったものが優先されているコミュニケーションです。

 私自身、発語のある生徒さんにもまだ無い生徒さんにも同じように言葉を通してコミュニケーションをとります。その時、生徒さん自身に発語が有るか無いかは意識に上っていません。今こうして改めて振り返れば、「同じように」と言っても、
無意識のうちに、こちらも声の出し方やテンポを調整しているのだと思います。同時に、表情や仕草や動作も変えているでしょう。

 一方的に、機械的に投げかけた言葉は届かなくても、共感性を伴って発した言葉は伝わります。日々の生徒さんとのコミュニケーションにおいては、こちらの言葉の働きにも磨きがかけられます。

 

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347.言葉って?

347.言葉って?
「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 「○○くんは、言葉がないから」とか、「○○ちゃんは、話さないんです」、というような発言を研修セミナーで時おり耳にすることがあります。しかし、生徒さんが言葉を発しないからと言って、コミュニケーションが成立しないわけではありません。

 きのうこのブログで、ワシントン大学法の講演会の時のお話をしました。そこで行われた、ダウン症児のための早期プログラムのデモンストレーション。日本のダウン症のお子さんを対象に行われたのですが、もちろん、v.ドミトリーブ先生は英語で話しかけられました。お子さんにとっては、おそらくはじめての英語です。しかし、コミュニケーションは成立し、プログラム課題は先生の意図されたように進められました。

 「どうせ英語は分からないだろう」と言うような思いはまずもたれず、そのまま英語で指導されました。言葉を介しながら、目を見て、表情や動作で先生の意図することを示していきます。英語自体は分からなくても、言葉は通じるのです。言葉とは、そういうものです。

 今朝の教室ブログは、「気持ちをことばにのせて」というテーマでしたね。まさに、そのとおりです。「気持ち」以前の、「意識」をのせて、「生気」をのせて、と言ってもいいかもしれません。北原白秋の詩集にもありました、生まれて程ない赤ちゃんの息に新しい命の生気を感じるといった詩が(どこかで出会った詩で、出典が不明なのですが)。

 コミュニケーションの原点は、自己と他者が生気を交わすことにあります。

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346.失敗させないように

346.失敗させないように
「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 もう20数年ほど前のことになりますが、ダウン症児の早期プログラムを実践し世界的に普及されたv.ドミトリーブ先生を研究所にお招きして講演会を行ったことがあります。講演の中で、教室のダウン症の生徒さん(4才位だったでしょうか)が
ステージに上がって、先生にプログラムのひとつを実践していただきました。

 課題は、積み木をカップに入れることだったか、なにかものを取り出すことだったかは忘れてしまいましたが、はじめての子どもに対してもまるで前からよく知っている子どもであるかのような対応ぶりで、先生の優しいまなざしと子どもさんのかわいらしさだけが今も印象として残っています。ほんの数分ですが、広い会場のステージに作り上げられた、先生と子どもさんのあたたかい世界が記憶の中に浮かんできます。

 その先生がおっしゃったことで、今でも日々の授業の中で思い起こされることがあります。それは、課題に対して子どもが失敗しないように指示をしましょう、ということです。

 たとえば色の取り出しで、赤・青・黄・緑の4つの積み木を並べて、「○色の積み木をください」という課題があります。その時にまず、一つずつ積み木を指で触れながら、そして子どもの視線を確認しながら、「これはあか」、次の積み木に触れながら「あお」、次の積み木に触れながら「きいろ」・・・といっしょに確認をしていきます。そして、さいごに確認した色の取出しからさせるのです。

「これは、あか、あお、きいろ、みどり。さあ、みどり ください」という具合に。

 数の学習においても、文字の学習においても同じことです。基礎学習に限らず、教科の学習やその先の学習についても言えるでしょう。熱心になるがゆえに、「これは?」とか「どっち?」とか「よく考えて!」とか迫りがちですが、ことに「学習」というもの自体への導入の段階では、ゆっくりとじっくりといっしょに課題にとりくんであげましょう。ものを並べたり、入れたり、取り出したり、ものの操作をいっしょに行ってあげましょう。しだいに手は添えなくても、気持ちはいっしょに行ってあげましょう。

 ことばよりも態度とまなざしで指示をしていきましょう。先ほどのステージでの子どもさんとのコミュニケーションも日本の子どもに対して、先生は英語でなされたのですから。

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345.1個ずつ、1個ずつ

345.1個ずつ、1個ずつ
「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 秋から初冬の今、落ち葉拾いやどんぐり集めは、太陽の光を浴び、ピリッとした空気や風の冷たさを感じる格好の楽しみとなります。それと同時に、数の存在を感じ、数感覚を育むとても良い機会ともなります。

 机の上に積み木やミニチュアの果物などを並べて、いきなり「これはいくつ?」と尋ねたり、「~を ○つください」などと指示を出して数の理解をさせようとしても、なかなか数概念を獲得できないことが多いものです。心理テストで数の理解度を測るのならばそれでもよいのですが、数概念を育てるための学習として行うのならば、これは得策ではありません。

 数えることを求めたり、合計数を答えさせようとする前に、1個ずつ、1個ずつというものの操作やものの移動を遊びとしてたくさん行いましょう。カップの中に何かものを全部入れる、入れたらまた全部出す、そしてまた入れる、また出す・・・、ものの増えたり減ったりを自分の操作を通して心いくまで体験させるのです。

 発達テストの中に、カップの中に積み木を10こ入れさせたり、ものを並べて遊ぶようなことがあるかどうかを尋ねたりする項目があります。たいていの幼児は幼児期に、自然に遊びとしてそんなことを行っているからです。そんな遊びを通して、数感覚を獲得していっているのです。

 発達テストことにスクリーニングテストは、まずは被検児が通常の基準どおりに発達しているかを測るものですから、通常の幼児が発達のプロセスでたいてい行うこと自体がテスト項目となっています。言い換えれば、発達テストで問われる課題はたいていの幼児が通過していく課題です。

 ハンディのあるお子さんは、幼児期にまだ手先が器用でなかったり、集中力が十分でなかったり、ものの認知が明確でなかったりするために、このような遊びの時期を通過することなく、いわゆる「数学習」へと突入してしまうことがあります。ですから、いっそう数学習の進みが鈍くなってしまうのです。悪くすると、数ぎらいにさせてしまいます。

 数ぎらいにさせずに、1ステップずつ数の学習を進めていくためには、このたいていの幼児が行う遊びを十分に行うチャンスを作ってあげましょう。尋ねたり指示したりと迫らずに、ものを移動させたりものを並べたりすることを一緒に楽しんであげましょう。このような遊びの中で、数学習にとって不可欠な数感覚が育まれていくのです。

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341.ほめる

341.ほめる
「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 ほめる、心からほめるって、むずかしいことかもしれませんね。心からほめなくては、相手に伝わりません。相手に伝わってこそ、ほめたことになります。

 大げさにほめただけでは、かえって空回りします。
 社交的なほめ上手もあります。それは、大人には伝わっても子どもには伝わりません。

 こちらが用意したプリントを全部やり終えた!「よく出来ました!」「すごいね!」「がんばったね!」これも、まあ、ほめことばです。全部やり終えることが目標である生徒さんにとっては、それは「すごい!」と評価すべきことでしょう。

 しかし、やり終えることは一応出来ている生徒さんであれば、取り立ててほめることではありません。ほめすぎるとかえって空回りします。やらせる側が全部やらせることが出来たことに安心し、自分をほめているようなものです。

 講師からの「生徒さんがやってくれました」「描いてくれました」「答えてくれました」・・・というような報告や記述は、私は改めるように指導しています。学習は、「やらせる」のでもなければ、「やってもらう」のでもありません。講師が舵取りをしながらも、共に学習に取り組んでいくのです。

 もちろん楽しく取り組んでいきます。しかし、楽しみながらも講師は真けんです。生徒さんがどこでつまずいているのか、こうすれば理解が進むか、ああすれば理解が進むか、もう少し繰り返すべきか、ここは引くべきか、常に感じながら、考えています。

 ですから、生徒さんの小さな変化にも気づき、本当に小さなことに対しても心からほめられます。なぜ、・・・それはこちらも本当にうれしいからです。生徒さんが自分でも手ごたえを感じたポイントを逃さずにほめるのです。そのためには、こちらも生徒さんと共に頭と心を動かしていなくてはなりません。

 大変な労力かと思われるかもしれません。でも講師業としては、そこが楽しいのです。

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37.心の軸(1)自分がほれ込んだものに懸ける


37.心の軸(1)自分がほれ込んだものに懸ける
「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」
 造形リトミック教育研究所 玉野摩知佳 

*楽しいからのパートナー
*新しく知るからのパートナー
*ちょっと簡単からのパートナー  

 おはようございます。造形リトミック教育研究所の玉野 摩知佳です。

 一人ひとりの子どもの周囲には親御さんをはじめ、学校の先生、職場の指導者、療育機関の医師や指導者、生活の支援者などさまざまな人たちがいます。

 私は知的障害・発達障害の療育機関に携わる者として、今週はその理想的なあり方について考えてみたいと思います。

 これまで理想的な指導者を内に外に探し求め、何人かの方に出会えました。その結果、理想的な方たちの有する共通点に気がつきました。それは、精神面に軸となる確かなものを持っている、ということでした。

 療育のプロセスには良いときも厳しいときもありますが、それを乗り越えて継続できるには軸となる精神性をもっていることがとても大切です。それは使命感であったり、探求心であったり、メソッドや人との出会いであったり・・・・・さまざまです。

 中途半端だったり疑心暗鬼で行っている取り組みは、十分な力を発揮できません。療育そのものやひとつの教育法にほれ込んで打ち込んでいる方たちは、一本筋の通ったしっかりした療育を行っておられます。

 これは、単に年齢の問題ではありません。先輩方だけではなく、若い方にもすばらしい療育者はおられます。

 療育も人生と同様、山あり谷ありです。晴れの日もあれば曇りの日もあり、雨の日や雪の日もあります。途中で目標を見失わずにやり遂げるには、「ほれ込む」ということが不可欠であると私は思います。本物を目指すには、思い入れや、こだわりが大切。本当に自分が気に入ったもの、良いと思ったもの、ほれ込んだものなら、多少困難があってもチャレンジし続けることができます。

 一度決めたら、多少の困難があっても楽しみながらやり抜いていきましょう。きっと大きな収穫があるでしょう。これは、療育に携わろうとするこれからの若い方たちに望むことでもあります。

 「理想的な指導者」のポイント
 ・プラス思考 (逆:マイナス思考)
 ・ほれこんで主体的に取り組む (逆:教育法に一貫性がない、中途半端)
 ・感謝の気持ちがある(逆:言い訳やグチばかり)
 ・まじめで努力家 (逆:要領だけでこなす、お調子者)
 ・壁にチャレンジする勇気 (逆:初めから諦めている)
 ・豊かな自分の世界をもっている (逆:無趣味で感動がない)

 ・・・しかしいつも120%でやりきる人もいますが、疲れたなと思ったときは、一休み。気分転換はとても大切です。

* 写真は、観覧車の各ゴンドラ(釣りかご)を支えている支柱です。この一本
  にすべてを託してのっています・・・大丈夫? 大丈夫!!

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知的障害・発達障害の療育に携わる指導者、
理想的な指導者について今週は考えてみたいと思います。

一人ひとりの子どもの周囲には親御さんをはじめ、学校の先生、職場の指導者、療育機関の医師や指導者、
生活の支援者などさまざまな人たちがいます。

その中で、療育機関の指導者について。
私は、次のように考えます。

これまで理想的な指導者を内に外に探し求め、何人かの方に出会えました。

その結果、理想的な方たちの有するいくつかの共通点に気がつきました。
 それは、精神面に軸となる確かなものを持っている、ということでした。
療育のプロセスには良いとき厳しいときがありますが、それを乗り越えて継続できるには
軸となる精神性をもっていることがとても大切です。それは使命感であったり、
探求心であったり、メソッドや人との出会いであったり・・・・・さまざまです。

 中途半端だったり疑心暗鬼で行っている取り組みは、十分な力を発揮できません。
療育そのものやひとつの教育法にほれ込んで打ち込んでいる方たちは、一本筋の通ったしっかりした療育を
行っておられます。
 これは、単に年齢の問題ではありません。先輩方だけではなく、若い方にもすばらしい療育者はおられます。

 療育も人生と同様、山あり谷ありです。晴れの日もあれば曇りの日のあり、雨の日や雪の日もあります。
途中で目標を見失わずにやり遂げるには、「ほれ込む」ということが不可欠であると私は思います。
本物を目指すには、思い入れや、こだわりが大切。
 本当に自分が気に入ったもの、良いと思ったもの、ほれ込んだものなら、多少困難があってもチャレンジ
し続けることができます。
また一度決めたら、多少の困難があっても楽しみながらやり抜いていきましょう。きっと大きな収穫がある
でしょう。これは、療育に携わろうとする若い方たちに望むことでもあります。

 「理想的な指導者」のポイント
・プラス思考 (逆:マイナス思考)
・ほれこんで主体的に取り組む (逆:取り組みが中途半端、教育法に一貫性がない)
・感謝の気持ちがある(逆:言い訳やグチばかり)
・まじめで努力家 (逆:要領だけでこなす、お調子者)
・壁にチャレンジする勇気 (逆:初めから諦めている)
・豊かな自分の世界をもっている (逆:無趣味で感動がない)

「ワンポイントアドバイス」
・・・いつも120%でやりきる人もいますが、疲れたなと思ったときは、一休みや気分転換はとても大切です。

 研究所ではスタッフに対して、「月々のテーマをまず私たちが楽しみましょう」と数十年間言い続けています。
指導者が楽しいと思って指導すると、生徒さんにとってもさらに楽しく興味のある指導が可能になります。
注意点としては、まだ経験の浅い指導者は「自分の好きなテーマ」を選ぶことがありますが、
これは考え違いです。
あくまで「テーマ」は一人ひとりのお子さんの今一番興味を引くものを選ぶ必要があります。
 昨年秋に、「コスモス」と「建築機械」を
同時に取り上げましたが、男の子でブルドーザーやクレーン車等が興味があるお子さんはまず
そちらを選ぶべきです。

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