353.体験の力

353.体験の力
「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 今日、一週間ほどの職場体験をしてきた生徒さんとの授業がありました。さっそく職業体験についての作文学習を行いました。いつになく要点を絞ってまとめ、感想も交えて書き上げることができました。計算や漢字、記憶には強く、どちらかというと、作文は苦手としている生徒さんです。それだけに、今日の作文の書きぶりからすると、さすがに体験の力は大きいなと感じました。

 この生徒さんとは、これまでも次のようなテーマで作文学習を折に触れて行ってきました。

・遠足
・社会科見学
・物語~教科書~
・本の感想
・社会問題(いじめ、虐待、エコ・・・)

 一番苦手なのは、「物語~教科書~」の感想文です。ひとりで書いたものを見ると数行で終わってしまっています。「遠足」「社会化見学」もまあほどほどに・・・と言った程度の書きぶりです。本の感想では、ある程度自分自身を出して表現できます。自分で選んだ本についての感想ですから、自分との関連が持て、少し書きやすかったのでしょう。

 比較的よく書いているのが「社会問題」についてです。中でも、「虐待」についての作文は表現に拙さはさはあったものの、本人の意見(気持ち)としては、確固たる物をもってそれを表現することが出来ていました。体験的に、意識化がなされていたのでしょう。

 しかし、それらに比べ一段としっかり取り組めたのが、今日の作文です。たとえ数日間でも日々緊張を持って真剣に取り組み、新鮮な体験をしたのでしょう。大人としての仕事の経験をしたことは、きっと確かな手ごたえを感じ、体や気持ちにびんびんと入り込んでくるようなものの連続だったのでしょう。右から左に通過していってしまうような体験や知識の習得とは大きく異なるものだったのでしょう。

 まさに、お店でも銀行でも病院でも図書館でも、いつもは一利用者であるのが、突然店員であったり行員であったり、スタッフであったりと、立場はまったく逆転してしまったのですから、ある種のショックがあったかもしれません。

 今回のことでこちらもまた思いを新たにしました。体験の重要性です。知的操作は得意でも、意味のある言語を理解し駆使することを不得手とする生徒さんには、体や気持ちに訴えかけるような体験が必要だということです。そのような体験によって、なかなか意味を成しえない言語や気持ちに意味が伴われていきます。

 日常的に常にそのような環境を保つことは難しいでしょうが、時にはそんな機会を意図的に設け、数少ないそんな貴重な折を大切にすることはとても意味のあることですね。

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なかのひと

343.捨てちゃった?!

343.捨てちゃった?!
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 きょうの授業「お金の管理」から:

 お金の管理の学習のために、レシートの貼り分けを毎日行っている社会人の生徒さんがいます。A4用紙の半分のスペースに1日分のレシートを少しずつずらして貼り重ねていくのです。その欄の下には、その日の合計金額を書き、1日の予算の中に納まっているか、オーバーしてしまったかを自己チェックします。

「予算-使った金額」が、プラスだったらOK。マイナスだったら使いすぎ。マイナスの場合は△をつけて、いくらオーバーしたか金額を明確にします。でも近頃では、前日はオーバーしても翌日は控えめだったので、まあOKという感覚も身についてきたようです。

 1週間に一度教室でレシートチェックをしているので今日もざっとながめてみると、20日に靴を買って、24日にまた同じ店で同じ金額の靴を買っています。職場の友だちにでもプレゼントしたのかとも思いつつ尋ねてみると、「大きさが合わなかったからまた買いました。前のは捨てました!」とのことです。えっ?!捨てちゃったの?!えっ?!

「本当は、23.0だけど、前のは23.5で、5違うから」・・・それはそうだけど。
「で、ゴミ箱に入れちゃったの?もう、ごみやさんに出しちゃったの?」
「それは、会社の○○さんが知っています」

 私もそれなりにも講師ですから、「なんでぇ?」「どうしてぇ?」「ダメでしょう~」「もったいないでしょ!」・・・とは言いません。一歩街に出ると、学習課題は、本当にいろいろありますね。でも困りながらも、どこか笑みがこぼれてしまうのです。もちろん、人事だからではありませんし、ばかにしているのでもありません。何ともほほえましいというか、自分で一生懸命に考えているんだな、と純粋なものも感じます。

 彼は休みの日には、会社で必要なものをよく買っているのです。今回の靴も仕事用の上履きです。会社用のティッシュペーパー、掃除用品、修正液など文房具、職場の方のためにめがね拭き、・・・。休日にも仕事や職場のことを考えているなんて、見上げたものです。

 さて、今回はこの出来事を通して何を学べるでしょうか?
・靴は、店頭で履いてみてから買うということ
・サイズの数字の違いのみに反応しているのか、それともたとえ0.5の違いでも本当に大き過ぎたのか
・靴は中敷や靴下の厚さで多少の大きさの調整はできるということ
・サイズを間違えたのなら、取り替えてもらうこともできるということ
・倹約するという意識をより明確にすること
・もったいないという意識を育てること
・困った時には、誰かに相談するということ

 こう考えてくると、今回の出来事の一番の問題は、「靴のサイズを間違えて買ってしまっても、本人は困っていない」というところにあるのかもしれません。「倹約」「もったいない」という意識を育てることが最優先かもしれませんね。困っていないから誰かに相談することもないし、「もったいない」という意識がないからすぐに捨ててしまうし、「倹約」の意識がないからダブルで買うことにも抵抗がない。

 靴に限らず、お金の管理の学習としては、「倹約」「もったいない」というこの2つの意識を育てることがとても大切なようです。今回のことで、私も認識を新たにしました。それにしてもあの靴、今頃どうなってしまっているのでしょう・・・?みんな帰って誰もいない夜の会社のゴミ箱に、さびしく捨てられている様子が目に浮かんできてしまいます。

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nan

342.ほめことば

342.ほめことば
「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 生徒さんの反応に対して「うーん!」と唸るのもほめことばです。これをほめ言葉として受け取れる生徒さんも、それはそれで成長している証です。これだけで、講師である相手の意図を感じ取り、その意味するところを受けとめることが
出来ているからです。生徒さん自身も自らの学習にそれなりの手ごたえを感じることが出来ているのでしょう。

 そこまでくれば、その生徒さんの中には学習の評価の基準というか、尺度というようなものが形成されていると言えます。他者からの評価を得る前に、自己評価できているのです。手ごたえを感じるとはそういうことです。学習の評価基準が自己の中に形成されている生徒さんは、自分が納得するまで学習を繰り返します。

 たとえば、漢字は覚えられるまでくり返し書きます。納得しないと、絵でも文字でも文でも書き直します。その場で覚えるべき課題では、覚えるまで睨み、覚えたところで自ら「いいよ!」と言って、見ないで復唱したり書き取ったりします。

 この間生徒さんから、こんな質問がありました。北海道美唄市で「プリンセチア」という花が栽培されている新聞記事を取り上げた時のことです。「プリンセチア」というのは、ピンク系の「ポインセチア」です。名前は「プリンセス」の由来するのだそうですが、・・・で話題となったのは、「美唄市の唄という字と歌とはどう違うんですか?」という疑問です。

 この問いに答えるのはそう簡単ではありません。こちらはイメージとしては分かっているものの、生徒さんの理解できる言葉でいかに伝えるか。そこで、辞書を利用しました。パソコンの電子システムソフトで調べることを心得ている生徒さんは、「私がやります!」と自ら喜んで調べます。歌と唄に加え、詩という漢字も出てきました。これら3つを読み比べ、「ふーん」といっしょに感心し納得しました。

 「家に帰ったら、お父さんとお母さんにも教えてあげてね」と促すと、「はーい」といい返事をします。誰かに話すことによって、理解と記憶はさらに確実なものとなります。

 こんなことを言った生徒さんもいました、「上手と言わないで下さい。うまいと言ってください」。「上手」というのは、どこか幼い感じがするのでしょう。こちらも心して「上手」と言わずに、「うまいですね」「よく考えましたね」「うーん!」・・・という具合に別の表現を心がけました。

 年が長ずるに従って体も成長し、学習を積み重ねることによって心も成長します。体と心の成長に見合ったほめことばが求められるのですね。

 ほめるべき時期に十分にまた適切にほめると、学習を楽しみ、学習に対して意欲的になります。そうすると、次第に学習力が育ってきます。自ら疑問を持ったり、驚いたり感心したり、感動したり。自らのうちに学習のきっかけを持ったときほど学習が身につくことはありません。

 他者からほめられるとか、評価されることを超えて、講師が「うん、うん」と、時には「うーん」と相槌を打つ程度で、自ら学習を進め取り組んでいくことが出来るのです。

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nan

340.日の出の時刻

340.日の出の時刻
「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 「月の形の変化」の学習から、思いがけず「日の出の時刻」の学習へと転じたケース。まずは日の出の時刻を日付ごとにグラフ化していくことにしました。初日は6時3分が日の出、それが日に日に1分ずつ遅くなってきています。11月24日今朝は、6時25分です。

 先週末の授業で、月の半ばまで追えましたので、少しテンポアップして実際の日付にテンポを合わせていければというところです。冬至に、間に合うように。

 冬至は、昼の時間が最も短くなる日で、その日を境にだんだんと昼の時間が長くなっていきます。そして、春分の日あたりに昼と夜の時間がほぼ同じになります。それからは、夏至に向かって昼の時間がますます長くなっていきます。知識としては、聞いたことがあっても、実際にグラフにして1分ずつ変化していくことを手でたどっていくと、講師ですら耳からの知識を体感として実感できるような気がします。天体の動きを身近に感じると同時に、宇宙とのつながりも感じます。

 この生徒さん、昨年行った「冬の気温」「夏の気温」の学習の成果でグラフを書くことは得意です。しかし、たとえば25分は20分と30分の大体真ん中とか、28分は30分寄りということの理解がこれからなので、グラフの罫線は1分ずつとっていきます。

 ですから、6時を0分から59分まで表すには、A4の用紙を3枚縦に貼りあわせなくてはなりません。しかも、日付が30日までですから1ヶ月を表すのに、横にも2枚貼りあわせ、合計6枚の用紙を使って、日の出の時刻の変化を書き表していきます。

 尤も、貼りあわせるのは最後の作業ですから、プロセスでは1枚の用紙ごとに記入していきます。ですから、さほど手間ではありません。最後に貼りあわせるのが、楽しみです。

 同じことを日の入りの時刻でも行う予定です。日の出と日の入りのグラフの形態がつかめたら、今度は1枚のA3の用紙に両方のグラフを書き表して、昼と夜を色分けさせてみたいと思います。「日がどんどん短くなっている」ことを自分のグラフで、確認出来ることを期待しています。

 6枚つづりのグラフが2つとA3の昼・夜グラフが1つ、これらを自分の部屋に貼っていつでも眺められるように。そんな環境を作ってあげられることも楽しみです。

 今の寒い時期、教室の後半の時間帯の生徒さんが変えるときはもうすっかり暗くなっています。でも冬至を過ぎ、新年を迎えると、その時刻はまだ明るいのです。真冬なのに、春に向かい夏に向かっていくことを毎年感じます。冬来たりなば春遠からじ、・・・ですね。

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339.学習のゆくへ

339.学習のゆくへ
「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 今日の教室ブログ、バザーでのクッキー販売を前に自分から「お金の学習をお願いします」といってきた生徒さんの記述でした。講師はその月その週の学習プログラムを立てながらも、数年先の必要性や目標にも目を向けています。こうして、舵取りをしながら一人ひとりの学習プログラムに個別に当たっていきます。

 そんな中で時にはこの生徒さんのように、自らリクエストが出たりもします。小さな生徒さんですと、ちょうどいまの時季は道すがら拾ってきた落ち葉やどんぐりがその日の授業の教材になったりもします。大きく舵取りをしながらも、ちょっと一緒に楽しんだり、成果につないでいくことは、講師の力量のなせることです。

 先日も面白いことがありました。十月頃にご紹介した月の満ち欠けの「月齢カレンダー」、この11月1日より生徒さんと行っています。月の形の変化がまるで手に取るように、また月が恰も動いているかのように見えとてもおもしろかったので、
このブログでも取り上げたのですが、ひとりの生徒さんは月の形の変化にはほとんど無関心。もっぱら日の出と日の入りの時刻に注目しています。

 月の絵の下には、日の出・日の入りの時刻と月の出・月の入りの時刻が24時制で記されているのです。何故そこに興味があるのかは分かりませんが、それほどに興味があるのならと、日の出と日の入りを取り上げることとしました。

 これも飛び入りの学習課題です。でもこの予定外の興味をどう学習として展開していくかを考えることは、講師としてとても楽しいことです。この展開は、あしたにつづきます。

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338.ソーシャルスキル:借りたら、返す!

338.ソーシャルスキル:借りたら、返す!
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「借りたものを返す」ことが苦手な生徒さん。どのようにアプローチしていきましょうか。問題が絞られているので対策は練りやすいと思います。所有の意識もしっかりしているし、借りたものは返さなくてはいけないことも分かっている。分かっているけれど、できない、というケースです。

 ならば、「借りる」という状況をたくさん作って、返す練習をしていきます。親御さんにも協力していただきます。

 まず毎週、授業の度に何かを貸してあげることにしました。たとえば、
・宿題を行うための、太ペンを貸してあげます。
・宿題を行うための、資料を貸してあげます。
・本を貸してあげます。
・雨が降りそうな日に、傘を貸してあげます。
・たくさんのプリントをはさむためにファイルを貸してあげます。
(※何のために何を貸したかを親御さんにもそっとお伝えしておきます)

 第1週目は何かを貸し、翌週返すことができるか様子をみます。返すことができたら、褒めます。そしてまた何かを貸してあげます。もし返すことが出来なかったら、今日返す約束になっていたことを確認します。そして、来週その結果を待ちます。

 第3週目です。返すことが出来たら褒め、返すことができなかったら今度は親御さんに言葉がけをお願いします。
「先生に借りたペンを明日返すんでしょ。鞄に入れましょう」と入れるところまで見届けてもらいます。

「わかってる、後で入れる」という返事でしたら、一度だけ「今、入れましょう」と促してもらい、それでも行わなかったら、ペンを持ってきてその場で入れさせるように手助けをお願いします。

 このとき、親御さんがイライラしないこと、叱らないこと、口うるさく言わないことがとても大切です。「今やれば簡単なんだ」、そして翌日、先生にちゃんと返すことが出来た、良かった、という達成感と満足感へとつながるようにしてあげましょう。

 この場面がとにかく一番大事です。ここで「うるさいなー!」という気持ちにさせてしまうと、親御さんの言うことをますます聞こうとしない態勢に入ってしまいます。講師も、約束のものを返せなくても決して叱りません。小言めいたことも言いません。ただ、約束だったことの確認だけをします。親御さんもここがガマンのしどころです。

 お互いに焦ったりイライラしないためにも、時間にゆとりをもって行わせましょう。ですから、用意は前日に。当日になると、親も子も焦ります。焦っていてはできることも出来なくなります。

 こんなやり取りを何回か様子を見ながら繰り返していきます。この11月の中旬から初め、クリスマスの頃には、少し目途が立つといいなと思っています。ほかにもいろいろと気になるところはあるようですが、ひとつずつ解決していきましょう。

 ひとつ解決するごとに、生活リズムも整い始め、身の回りも整頓されてくることでしょう。親子の関係も流れがよくなることでしょう。すると、忘れ物、提出物の管理、など他の問題も少しずつ良い方向にきっと向かっていきます。

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337.ソーシャルスキル:誰のため?

337.ソーシャルスキル:誰のため?
「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

「借りたものは返す」、なんて当たり前と思われるかもしれません。でも、これがなかなかできないというケースが少なくありません。

 自分のものと人のものとの区別はついていて、いわゆる所有の意識はきちんとあってもそんなことが起こりうるのです。しかしこれは、発達障害をもつ生徒さんに限られたことではなく、一般人にもマナーとして問われていることでもあります。

 100円、500円、1000円、10000円、・・・たとえいくらであっても借りたお金を返さない。
 図書館の本やレンタルビデオを返さない。
 図書館の本といえば、返さないだけでなく、書き込みがされていたり、ページが引き裂かれていたり、ということもよく問題になっています。こう考えていくと、「えっ」と思われるような行為は、一般の大人の社会においてもそこらじゅうで目にします。

 一般の大人にもソーシャルスキルトレーニングが必要であるようです。ソーシャルスキル、一体誰のためのもの?と感じるのは、私だけでしょうか。

・スーパーの駐車場に置きっぱなしにされているカート
・野菜売り場に置き去られた、お肉のパック
・取ったお皿をレーンに戻す回転寿司のお客
・投げ捨てられている空き缶や吸殻やごみ
・「ぬれた体で歩かないで下さい」という掲示やアナウンスにも拘わらず、ロッカールームをぬれた体で歩く人。
・脱ぎ散らかされた数足のスリッパで、乱雑になっている洗面所 
・「靴は靴箱に」とあるのに、玄関に脱ぎっぱなしの人
・電車の中で大声で話す人
・携帯電話を相変わらず電車の中で使う人 
・・・・・あげていけば切がありません。しかも、若者ばかりが問題なのではなく、中年、壮年、老年も。年齢には、関係ないようです。

 みんなが守ればよいことが守られていないのです。・・・なんだか低級な話題で、小学校の学級会の問題みたいになってきてしまいましたね(こんな言い方、小学生に申し訳ありませんが)。

 では、今晩はここまでにします。明日は、「借りたものを返す」ことが苦手な生徒さんに教室ではどのようにアプローチしているかをお話ししたいと思います。

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336.ソーシャルスキル:ぼくが1番!(つづき)

336.ソーシャルスキル:ぼくが1番!(つづき)
「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 「何でも自分が1番でなくては気がすまない!」というケース:(つづき)もうひとつは、気持ちが満たされていない場合です。

 兄弟のいる場合、家庭の中でも誰が1番かということでもめることもあるでしょう。とくに上のお子さんにとっては、下のお子さんはライバルです。弟や妹は、ある時まではいなかった存在。その突然現れた存在にお母さんを奪われ、独占されるような状況になってしまうのですから、上のお子さんとしては、黙ってはいられません。

 しかも下のお子さんの誕生前後には、上のお子さんはたいてい特別な状況下に置かれます。おばあちゃんとお留守番。慣れないおばあちゃんの家に預けられる。説明も予告もないままに、自分の生活状況がどんどん変わっていきます。

 こんな場合での自己主張は、赤ちゃん返りや母子分離不安や人見知りなどいろいろな形で現れますが、「ぼくが1番!」というのもその一つです。絶対に弟や妹に、1番は譲れないというガンとした主張です。

 「自分に1番に目を向けてもらいたい」「自分に1番に気持ちを向けてもらいたい」「自分を1番に大事にして欲しい」という欲求の表れです。

 「お兄ちゃんだから(お姉ちゃんだから)がまんしなさい」というよりは、その自己主張を受容し気持ちを満たしてあげましょう。1番にしてあげましょう。気持ちが満たされれば、その気持ちは下の兄弟のほうへ自然に向けられるようになります。「○○ちゃんが先でいいよ」というように。

 兄弟間のライバル意識のほかにも、思うように何かが出来ない・・・たとえば絵が描けない、なわとびができない、勉強がわからない、友だちと遊べない、かけっこが苦手・・・というようなことによるストレスで、「ぼくが1番!」という自己
主張が過度になることもあります。

 その場合は、「できない」という状況に出来る限り追い込まないようにしましょう。出来ることをもっと伸ばして、ほめてあげましょう。自信を持たせてあげましょう。苦手なことは、無理やりにやらせる必要はありません。さりげなく、援助をしてあげましょう。または、できるところから少しずつ克服させていきましょう。そうしてストレスをとり除き、気持ちを満たしてあげることです。

 小言や注意が多すぎて、お子さんがストレスをためていることもあります。器質的な「イライラ」とは異なり、環境から生じる「イライラ」です。その「イライラ」がストレスとなって、「ぼくが1番!」とそれをストレスのはけ口にしていることもあります。

 決められたことをしない、時間を守らない、だらしがない・・・、気になるところはたくさんあると思いますが、一つずつ直していきましょう。小言や過度の注意で、行動がよくなることはまずありません。

 ソーシャルスキル、行動を直す前に、まず気持ちを満たしてあげることが先、ということもあるのです。

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335.ソーシャルスキル:ぼくが1番!

335.ソーシャルスキル:ぼくが1番!
「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 「何でも自分が1番でなくては気がすまない!」ということで親御さんが困っているケースが時々あります。

 まず、「順番に並んで待つ」ということを教えてあげなくてはいけない段階があります。初めて経験する順番は、どんな場面ででしょう。公園でブランコの順番を待つ、滑り台の順番を待つ、といったあたりでしょうか。誰でも最初は順番があるということを知らずに、目の前のブランコや滑り台に一目散で駆け寄っていきます。そこで親に引き止められ、「順番よ」「順番ね」と促されて、みんなが順番に待っていることに気がつきます。そうやって、「順番を待つ」という社会的行動を身につけていきます。

 それがだんだん、お店でレジの順番を待つ、電車を順番に並んで待つ、遊園地で長蛇の列に並んで待つ、というふうにいろいろな場面に広がっていきます。

 しかし、このように教えればすむことであればことは簡単でしょう。問題行動とはなりません。では、教えてもすまない場合とは?。

 ひとつは、器質的に「イライラする」「じっとしていられない」という場合です。また「待つ」という時間的行為が理解できない場合もあります。器質的に、あるいは発達段階的に難しいのであれば、いくら教えても「順番を待つ」ことはすぐには実行できないでしょう。

 よく親御さんも言われます、「絵カードで教えているときは、理解できていても、実際の場になるとダメなんです」。そうなんです、「分かっているけど、できない」ということです。

 この場合は、スモールステップで段階的にトレーニングしていきましょう。
・1~2人、または2~3人待てばよい段階から始めましょう。いきなり、5人も6人も並んでいるような場面は避けることです。そこでイライラさせてしまうと「順番・待つ=イライラ」という関連を強化してしまうだけで逆効果です。

・お店もなるべく込まない時間帯を選んで連れて行きましょう。

・「待てば、自分の順番がくるんだ」という時間的行為を意識的に体験させましょう。「順番」「順番に待とうね」「次だね」「さあ、○○ちゃんの番だね」というように。

・順番を待てたら、ほめてあげましょう。

 もうひとつは、気持ちが満たされていない場合です(つづく)。

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334.ソーシャルスキル:見きわめを

334.ソーシャルスキル:見きわめを
「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 「ソーシャルスキル」という言葉やそのような分野が既にオーソドックスになってきています。不適切な言動を単に問題行動として否定的に捉えるだけでなく、「分からないこと」「知らないこと」は教えてあげようという取り組みに変わってきたことは評価すべきことだと言えるでしょう。

 しかしここで見きわめなくてはいけないのは、「分からなかった」からまたは「知らなかった」から不適切な行動をとってしまったのか、それとも「分かっていた」「知っていた」けど不適切な行動をとってしまったか、ということです。

 一月ほど前でしょうか、「万引き」について、警察と学校とが協力して生徒の指導に当たるという、記事を新聞で見かけました。異例のことだそうです。万引きの指導とソーシャルスキルの指導とがイコールかどうかは別として、本質的には同じ問題を擁しています。

 「万引き」が悪いことだということを知らない生徒は、まずいないでしょう。しかし、それほど悪いとは思っていない生徒はいる可能性があります。悪ふざけ、ゲーム感覚で、○○もやってるよ、くらいの軽い気持ちでいる生徒。そういうケースでは、「万引き」は犯罪であり、被害者である店は倒産に追い込まれるほどの深刻な問題であることをしっかりと教えるべきでしょう。

 問題なのは、「万引き」が悪いことだと重々知りながらも、犯してしまうケースです。そういうケースでは、「万引きは犯罪です!」とテキストとしていくら指導しても意味がありません。なぜならば、「万引き」は悪いことだからこそ「万引き」をするのですから。

 後者においては、「万引き」いう行動を引き起こす背景にある心理状況や、生活状況を教育の立場から見直し、そこに目をやり、気持ちをかけ、具体的な対応をしなくてはなりません。

 屈折した心理、満たされない心理、自己受容できない状況、自信の喪失、不安定な生活、ゆとりのない生活、受容されていない状況、ストレス、孤独・・・。そこに気づき、そこに援助の手を差し伸べない限り、問は解決しないでしょう。

 ソーシャルスキルについても同様です。単に教えれば解決する問題と、そうではない問題とがあります。その見わめが大切なのです(つづく)。

 

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