404.良さを見つけられてこそ

404.良さを見つけられてこそ
「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 先日のセミナーでひとりの講師から、「○○くんはこれまで介助で描いていたんですけど、ひとりで描けるものがでてきました!」という報告を受けました。

 「それは、すごい!」と思いながらも、「たとえばどんなものが描けるようになってきたのですか?」と尋ねたところ、「ひよこです。・・・でも、きれいなマルで描くというわけではないんですよ。いちおうグルンっていうようなゆがんだマルでひよこの頭と体を描いて、まわりの草もここに描いてというと、グイーっと線を引くような・・・そんな描き方なんですけど」、とのことでした。

 これを聞いて皆さんはどう思われますか?

 「なんだ、そんなの描けるうちに入らないじゃない!」と思われる方もいらっしゃるかも知れませんね。私もセミナーで時折、「ゆがんだマルでしか描けないんです!」「草っていっても、長めの線をただ描くだけなんです!」というような発言を耳にすることがあります。

 とすると、先にあげた講師は過大評価しすぎているのでしょうか?
 ・・・そんなことは、ありません。私はその報告を聞いて、「この講師は、生徒さんへの評価の仕方、言うなれば発達の捉え方を心得ている、講師としてその域に達したな」と感じました。

・たとえゆがんだマルであっても、何もない白い画面上にマルが描けるとはどういうことなのか?
・草に見立てて、画面上のいろいろな場所にいろいろな向きで直線が引けるとはどういうことなのか?

 特殊教育では、私達が当たり前に行っているようなことについて、それができるとはどういうことなのかを細かく分析できることが必要です。その分析的な尺度をもって、一つ一つの機能を育てていってあげる、ある意味それが特殊教育です。

 なぐり描きから、ゆがんだマルへ、そして整ったマルへ、そこまでに到るプロセスには、小さなさまざまなステップがあります。そういった発達のプロセスを分析的に捉えることができて初めて、ゆがんだマルをも評価することができるのです。普通教育でもそうですが、特殊教育においてはことに、発達をそのように分析して捉えられることが求められます。

 ゆがんだひよこを「描けます!」と評価できた講師は、発達をそのように分析して捉えることができているのです。そして、講師のこのような肯定的な評価は子どもに豊かで大きな自信を持たせることができます。講師が心からほめてこそ子どもの自信は育てられます。良さを見つけれられてこそ、子どもは育つのです。

ーーーーーーーー
造形リトミック研究所
>>発達障害 知的障害 Elephas/エレファース 公式サイト http://www.zoukei-rythmique.jp/
>>お問い合せメール 
nan

「指導のポイント」カテゴリーの記事