321.日常の言語
「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所
教科の個別の学習自体が言語トレーニングになっています、ということを昨日お話しました。今日は、日常における言語トレーニングの意味合いについて考えてみます。
日常における言語トレーニングのメリットは、こんなところに求められます。
・日常はまさに実際の場であるので、具体的なものや状況と言語が直結しています。
「百聞は一見にしかず」の言葉のとおり、そのもの自体と言葉との直結は言葉の理解を深めます。「ピン!とくる」というのがそれです。学習の場では、記憶をたどって想像で言葉を理解するしかありません。その記憶と想像を助け補うために、教室では絵や動画を駆使しているわけですが。これは、なるべく言語のやり取りの場を日常に近づけようとする努力です。
・日常はまさに実際の場であるので、話し手にも聞き手にも感情が伴います。
話そうとする、つまり言語を発しようとする動機付けは、「必要性」と「感情」です。「必要性」も言ってみれば、「言いたい」「言わなければ」という感情です。相手への感情、対象への感情、事態への感情、状況に対する感情、これが日常の場では当然ですがリアルです。
この、感情がリアルに動きやすい日常は、言葉を発せさせ、感情語を獲得させる絶好の場です。「あついね」「さむいね」「きれいだね」「おなかがすいたね」「のどがかわいたね」「つかれたね」「すごいね」・・・などのごく日常的な感情語からはじめ、「なつかしい」「梅雨、うっとしいですね」「今日は、さわやかね」・・・。
さらに「人のあたたかさ」「言葉のあたたかさ」「風の音のなぐさめ」「都会の冬の冷たさ」・・・最後は詩のレベルですが、その基礎はやはり日常語から学んでいくものです。
どの分野でも基礎を学べば応用や予想、想像が可能であるように、感情語においても基礎から育てていけば、自分とは異なる相手や第三者の感情を理解したり、経験していないことも想像する、といういことができるようになります。
・・・こう考えてくると、言語を育てるトレーニングと感情を育てるトレーニングとは表裏の関係にあるようですね。今あらためて、つくづく感じます・・・。そうですね・・・(つづく)。
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