313.人見知り
「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所
今日の教室ブログは、「母子分離」のお話です。その前にここでは、「人見知り」ついて考えてみましょう。「人見知り」も「母子分離不安」もお母さんがお子さんと共に越えていってあげるべき、大切な課題だからです。
子どもは、母親への強い愛着があって育ちます。母親との身体的、心理的関わりによって、生涯にわたって人間関係の基礎となる「信頼」を獲得します。母親と肌で接する幼児期は、この「信頼」を育てる上でとても大切なステージです。
生後数ヶ月から1歳くらいで訪れる「人見知り」は、そんな関係の中で幼児が五感を総動員して母親を認知・認識した証です。母親以外の人の出現によって、自分の認知・認識した母親との安定感、自己と母親という二人で完結している世界が破られたときに起きるものです。母子関係が希薄だったり、発達障害など何らかの条件で母親の認知・認識が確立しにくいときには、「人見知り」は起きません。母親であろうと誰であろうと、見境がないからです。
「初めての信頼できる他者」である母親への認識があってこそ、「人見知り」は起きるものです。ですから、「人見知り」は母親として誇りに思っていいのです。「人見知り」をさせないのではなく、むしろ「人見知り」をしたときにどうしてあげるかが大切なのです。
大好きな母親に抱かれながら、またやさしい言葉がけをされながら、幼児は母親以外の他者を知っていきます。安心できる母親の腕の中で守られていてこそ、初めての他者、新しい他者に興味を示し、自己の世界を少しずつ広げていくことが出来るのです。
初めての人との恐怖を、「大丈夫よ」とやさしくことばがけしながら越えさせていってあげましょう。母親と密着している安心な状況であれば、幼児は新しい他者にまず視線を向けることができます。しだいに手を伸ばし、やがては抱かれることも出来るようになります。こうして、幼児の世界は少しずつ広がっていくのです。
突然なじみのないおばあちゃんに預けられて、「じゃあ、ママ行ってくるわね。バイバイ」と母親がいなくなってしまっては、幼児が泣き叫んでも当然です。まさに、引き裂かれるような思いでしょう。
母子分離にも同様のことが言えます。(つづく)
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