319.宿題:叱らないで・・

319.宿題:叱らないで・・

「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 宿題を渡すときに、いつも親御さんに申します、「分からないところがあったらそのまま持ってきて下さい。決して叱らないでくださいね」。

 宿題に限らず、家庭学習のコツ:
・分からなくても叱らない
・分からなかったら、答を見て書かせる
・分からなかったら、教えてあげる

こんなやり方だと学習についていけません、と思われるかもしれません。
普通学級ではどんどん先に進んでしまうんですよ、と思われるかもしれません。
甘やかしていると他の生活までわがままになります、と思われるかもしれません。

 しかし、そんなことはありません。教育においては「急がば回れ」ということが功を奏すことがあります。叱りながらやらせても、何ひとついいことはありません。つい先日、ひとりの小6の生徒さんと国語の学習をしながら、「ずい分じっくり取り組めるようになったな・・・」と思いました。

その日は、ふだんより少し事細かに語彙の意味に触れてみました、

「暖冬って何?」「暖かい冬」、「そうだね」
「じゃあ、自らは?」「自分から」、「うーん、そうだね」
「じゃあ、長男は?」「長い男の子」、お互いに笑い。自分でも変だと思ったのでしょう。
「○○くんは、長男だけど、長い男の子?」・・・また笑い。

 それから、図を描きながら長男・次男・三男、長女・・・の説明をしたり。一人っ子のこの生徒さんにはイメージしにくいところもあったので、お母さんの兄弟のことを尋ねてみたり。でも、よくわからない様子。そこで、
「○○くんには、おじさんっている?」「・・・?」
「○○くんには、おばさんっている?」「・・・?」
「おばさん? あの60才くらいの人がおばさんかな?」「・・・それは、おばあちゃんでしょ・・」
しだいに、おばあちゃんとおばさんとが混乱してきます。

 幼児期から、語彙数の少ないことが気になり、言葉による表現や理解に問題を持つ生徒さんです。今でも時折、こんなふうに当然分かっているかなと思われるところが未獲得であったり、文意の通じにくいところがあります。でも、教室でもご家庭でも叱らずに穏やかに学習に取り組ませてきましたから、言語のハンディを有しながらも、小6の課題に取り組めています。

 しかも、決して投げやりになることなくイライラすることもなく・事細かに問われても、むしろ自分なりに一生懸命に考えようとする姿勢があります。「しらない」「わからない」と片付けてしまうことはありません。

 叱らない教育がいかに大切であり、子どもを育て伸ばすか。この態勢はやはり、間違えではないと改めて感じ、気持ちをまた少し強くしています。

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318.人生の重さ

318.人生の重さ

「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 「足利事件」の再審初公判に関して、ー証拠請求の多くが認められ、「予想以上」と喜ぶ弁護団の笑顔と対照的な厳しい表情ー(10月22日:読売新聞)と報じられていました。弁護団にとっては無罪判決を得るという目的のためには、予想以上に多くの証拠請求が認められたことは確かに大きな成果でしょう。

 しかし、冤罪の被害者の17年半という年月は戻ってきません。無罪が認められれば認められたで、「ならば・・・、あの17年半という年月の拘束・屈辱・喪失は何だったのか?」という、怒りとも、悔しさとも、無念とも、筆舌を越えた「私の人生をどうしてくれる?」という取り返しのつかないとてつもない憤りに、繰り返し迫られるばかりでしょう。

 小中学生の頃に時折見ていた刑事ドラマでも、事件が解決して最後は、たいてい刑事仲間が談笑したり、ユーモラスにふざけあうシーンでしたが、それを見ていつも何かそれとは違う「悲哀」のようなものを感じていました。事件は解決しても、被害者とその身近な人たちの心情やその後の生活はどうなのか、その人たちの人生はどうなるのかと。加害者の贖罪と更生においても・・・。

 領域は全く異なりますが、「人生」という観点からは特殊教育の分野でも、日々の療育において、また就学などの進路選択や決断において、一人ひとりのお子さんの人生の重みを感じて携わらなくてはなりません。

・ただ、絵が描けるようになりました、歌が歌えるようになりました、だけではなく、来春の入園に対してそれがどのような意味合いを持っているのか、他にも入園のために整えておくことはないのか?

・教科の学習もただワークを行うのではなく、学校のテストがあるのならそこでの成果にその生徒さんなりに結びつくように、受験を控えているのなら受験日から逆算してその生徒さんなりに充分な準備が出来るように

・合格したら合格したなりの次のケアを、不合格であればそこでの進路修正と心理的ケアを

・就職して自立に向かう生徒さんについては、生き生きと豊かに生活できているか、さらに豊かにするためには・・・

 特殊教育においては、常にその生徒さんの日常と少し先の将来を見据えて、目先の何ができたということだけでなく、その意味付けを行いながら、一人ひとりの人生が心身健康な豊かな人生になるようにという視点を持つことが求められています。

 秋から来春に向けて今、就学相談が行われ、それに関する相談が教室に寄せられていますが、心理測定の数値でひとりのお子さんの進路が決定されそうになったり、親御さんが不安になったり・・・。

 責任ある立場の人間は、一人ひとりの子どもの人生の重みをしっかりと受け止めて、評価や進路についての指針を示すべきです。

 職責と一人ひとりの人生とは、重ねようとしてもどうしても重ねきれないところはあります。しかし、出来る限り、最大限の思いと努力をはらって、重ね合わそうと努めるべきです。それが本来の職責です。特別支援学校、特別支援学級、普通学級・・・、ほどよく振り分けて、談笑・・・というようなことがないように。

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317.子どもは育つ

317.子どもは育つ

「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 発語がある、言葉をどのくらい理解できる、算数がどのくらいできる、ひとりでどのくらい行動できる・・・、という尺度とは別に、お子さんの心は成長していきます。早ければ小学校高学年、中学生、場合によっては、高校生年齢。個人差はありますので、就労し、20代になってからということもあるでしょう。しかし、いずれにしても、やがて自立のときを迎えます。

 その兆しは、
・注意されたり、指示されることを嫌がる
・事細かに聞かれることを嫌がる
・親御さんとの会話が少なめになる
・ひとりの時間を好む
・親御さんのいる時といない時とで、態度が変わる

・・・こんな様子として表れます。

 それに気づいたら、「自立への志向が芽生えている」ということを理解されることが必要です。と言っても、すぐに居を別にして自活させるということではありません。

 それでは、どうしたらよいのでしょうか。
・出来るかぎり、注意や指示を抑えましょう。
・お子さんに事細かに問いただすようなことは、控えましょう。
 むしろ、お子さんが話題にしてきたことや、関心ある素振りを見せたことに対して、興味を持って関わってあげましょう。
・ひとりの時間を大切にし、その時間は言葉をかけることを控えましょう。
・子ども扱いをしていないかどうか、親御さん自身が自己の言動を振り返ってみましょう。

 「~しなくちゃ、だめでしょ」「もうしたの?」「ほら、また」「だから、言ったでしょう」・・・というようなことが、言動や態度に出ていることはありませんか?
 
 このようなことに少し気を払われれば、ご家庭の中でも、自立への芽を上手に育てていくことができます。自立への志向を妨げられることがなければ、多少の葛藤はあってもお子さんは順調に成長し、親御さんとの新しい関わり方を見出すことが出来るでしょう。

 きのうも、「我が強くなって、なかなかこちらの思い通りにはならない・・・」という親御さんからのお話がありましたが、それはこれまでの子育ての甲斐あって、お子さんが成長された証拠です。

 親御さんにとっては、「いつまでもかわいい○○ちゃん」であっても、体だけでなく、お子さんの心理状態は変化してきています。お子さん自身も気づいていないかもしれません。しかし、大人(=自立)への志向は確実に強くなっていきます。

 お子さんの成長に伴って、親御さんも変わっていくことが求められているのですね。

  
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316.ブロックを掴む!

316.ブロックを掴む!

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 昨日のケース会議でのことです。ある一人の生徒さんについて、「ブロックを把握する割合が増えた」という報告がありました。

 小さなブロックを掴むことなんて「誰でも出来ること」、と思われるかもしれません。しかし、ハンディをもつ生徒さんにとって、それは何年か越しでの成果なのです。提示された課題に注目し、何をすれば良いのか感じ取り、理解し、気持ちを動かし、それに従って手を動かし、指を動かし、そして掴む。神経が指先にまで及んではじめて可能となる行為です。体を支えながらの、全身集中の行為です。

 ですから、いつも出来るとは限りません。まだ、出来る「割合が増えた」という段階なのです。何回か前までは、「偶然かな?」と思われるくらいの確実性のない行為だったそうです。でも今では、「意図して掴んでいる!」と確信できます、とのことでした。

 「出来る」「出来ない」のイチゼロの尺度では、計ることの出来ないものがあります。特殊教育では、ゼロからイチの間の成果を見ていきます。それが、成果の「割合」です。とても小さな変化なのですが、とても大きな成果なのです。先の例でも、「指先にまで神経が及んだ!」ということは画期的なことです。そこからいろいろな可能性が広がってきますし、他の把握行動にはどんなものがあるかと、日常生活を見直す必要も出てきます。課題がどんどん出てきて、気持ちが高まります。

 小さな変化を見つけられる目、というものに私達は誇りを持ちます。その目があってはじめて、講師は生徒さんを心からほめながら、また自らも手応えを感じながら、喜びをもって指導に当たれます。

 イチゼロの尺度では、「今日も出来ませんでした」、「まだダメです」、となって、喜びも希望もなくなってしまいます。「数の理解、まだ不完全です」、「ひらがなの読み、完璧ではありません」ではなく、どこまで出来ているのか、ということの正確な把握が学習を次に進める力となります。

 行きつ戻りつしながらも、小さな変化に大きな成果を認め、親御さんとも共に喜びながらの日々です。

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315.ていねいに生活する

315.ていねいに生活する

「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 新聞の投稿欄に、「丁寧に生活する」というようなタイトルの本を見つけた、という内容のお話が載っていました。だから、丁寧に料理をし、丁寧に掃除をし・・・というようなことを書いておられました。投稿された方も、その見かけた本についてはうろ覚えだったようですが、この記事を読んだ私もこの記事についてうろ覚えのまま今、書いています。ですから、内容が正確であるかどうかは自信がありません。

 しかし、「ていねいに生活する」というのはとても良いですね。とても、魅力を感じます。いつも時間や追われ、いつもあくせくしている。楽しいどころか、必死で追いかけてようやく追いつくか、いくらやっても追いつかないような生活。そんな生活のくり返しでは、どこかで疲れて続かなくなってしまいます。

 朝の生活もゆっくりと、落ち着いてていねいに行いましょう。歯みがきも、着替えも、食事も・・・。

 出かけるときも、ゆっくりとていねいに、靴をはき、鏡を見て身だしなみを整えて、忘れ物がないか確認をして、ていねいに出かけましょう。

 職場や学校では、そんなていねいなことが許されないとしたら、一応テンポを周りに合わせて行動し、家に帰ったら、またゆっくりていねいに過ごしましょう。

 うがい、手洗い、ゆっくりていねいに行いましょう。おやつ、ゆっくり楽しく味わって食べましょう。

 勉強、ゆっくりていねいに適度な量を学習しましょう。あわてなければ、結構ていねいな字で、逆に結構な量の学習がはかどります。

 これなんです。いつも慌てていることが、学習の妨げとなっています。せかされなければ、また自らもあせってイライラしなければ、出来るのです。自分の出来るところから、少しずつていねいに学習していけば、分かるのです。

 しかし、このゆっくりていねいに、がなかなか出来ないのが現実です。どこかで、生活の仕切り直しをしましょう。土曜日か、日曜日、なるべく時間の拘束のない日が良いでしょう。ゆっくりていねいに日曜日をすごせれば、月曜日をゆっくりていねいに迎えることが出来るかもしれません。

 ゆっくりていねいに、いいことばですね。お母さん方、まず家事をゆっくりていねいに行ってみましょう。そうしたら、学校から帰ってくるお子さんをゆっくりていねいに迎えることが出来るでしょう。

 今朝のブログも、ゆっくりていねいに書きました。だから、とても楽です。コーヒーを飲む時間くらい、逆にゆっくりとれそうです。

 せわしい毎日、ゆっくりていねいに、がいつまで続けられるか分かりませんが、できるかぎり続けてみましょう。やがて、せわしい「いつも」に戻ってしまったら、またどこかで仕切りなおして、ゆっくりていねいに、に切りかえましょう。では、ゆっくりていねいに・・・。

 
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314.母子分離不安

314.母子分離不安

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 先週末は、「人見知り」について考えてみました。「人見知り」は、母親と赤ちゃんとのしっかりした二者の関係が形成された証です。第三者によってその関係が崩される時に赤ちゃんは不安を覚えて、他者から目をそらしたり、母親にギュっとしがみついたり、ワッと泣き出したりします。それが「人見知り」です。そんな状況から、赤ちゃんが第三者を受け入れ世界を広げていくことが出来るのは、信頼できる母親の後ろ盾があってこそです。

 母子分離不安についても同様のことが言えます。母子分離は、お子さんがお母さんに支えられてこそ乗り越えていかれる課題です。

 何らかの状況で、基本的信頼関係(母子の二者関係)が確立していなかったり、いったん形成されていても何らかの事情でその関係が不安定になっていたり、またこれから立ち向かおうとする対象(入園だったり、新しいお稽古事であったり、お留守番であったり、初めての人であったり・・・)が、その子どもにとって乗り越えるには大きすぎる存在であったりするときに、母子分離不安は起こります。

 その時に必要なのは、叱ったり、励ましたりすることではありません。また、お母さんがこれまでの子育てに問題があったのかと悩むことでもありません。状況に即して、母子分離できるように支え、共に乗り越えていってあげることです。

 では、具体的にはどうしたらよいでしょうか?

・まずは、お母さんが不安にならないことです。と言われても難しいかもしれませんが、自分にも、お子さんにも「だいじょうぶ」と言ってあげましょう。

・就園やお稽古ごとの開始のように、時期が予測できるものであれば、少しずつ準備していきましょう。
 言っても分からないだろうと決めつけるのではなく、「春から幼稚園に行くのよ、楽しみね」「こんどから、○○へ行くのよ、楽しみね」と折に触れ楽しそうに予告していくことです。可能であれば、幼稚園などに足を運んでどんなところか見せてあげましょう。

・就園に際しては、園側でも慣らし保育の期間を設けるでしょうが、ご家庭でも一人で過ごす場や時間を短時間ずつ体験させていきましょう。
 母親の姿が見えない部屋での一人遊び・お父さんとの外出・お父さんとのお留守番・同居ではないおばあちゃんとのお出かけ・おばあちゃんとのお留守番・・・など。

・既に就園され、毎朝泣いているようでしたら、帰宅したときに充分に身体的接触をもって気持ちを充足してあげましょう。
 甘やかしすぎ?、というような心配は要りません。甘やかしすぎるくらいで、結構です。「ひとりでがんばってるね」とか「あしたは、泣かないで行けるよね」というような言葉かけも不要です。朝の不安と翌日への心配をかえって増長するようなものですから。

・お稽古ごとなどで、母子分離の猶予が可能な状況であれば(当教室もそうですが)、無理やりに引き離さないことです。
 「今日はひとりでやるのよ」ではなく、「ママもいっしょに行こうかな?」くらいの言葉がけをしてあげた方が、結果的には早く母子分離できます。子どもが「離れたくない、離れたくない」と言っているときに、親御さんの方が「離そう、離そう」とすると、子どもはいっそう離れなくなってしまうものです。

 不安がなくなったら、または不安より楽しさの方が勝っていたら、またお母さんとの関係に充分満足したら、お子さんは自ら離れていきます。こちらの教室でも、その時間は、お母さんの存在を忘れてしまうくらい魅力的な授業にしていきたいと日頃から思っています。

 教室で、お母さん以外の他者(講師)を信頼し、コミュニケーションを楽しめるようになることは、母子分離トレーニングから始まり、他者との関係性を広げ育む良い機会ともなっています。

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313.人見知り

313.人見知り

「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 今日の教室ブログは、「母子分離」のお話です。その前にここでは、「人見知り」ついて考えてみましょう。「人見知り」も「母子分離不安」もお母さんがお子さんと共に越えていってあげるべき、大切な課題だからです。

 子どもは、母親への強い愛着があって育ちます。母親との身体的、心理的関わりによって、生涯にわたって人間関係の基礎となる「信頼」を獲得します。母親と肌で接する幼児期は、この「信頼」を育てる上でとても大切なステージです。

 生後数ヶ月から1歳くらいで訪れる「人見知り」は、そんな関係の中で幼児が五感を総動員して母親を認知・認識した証です。母親以外の人の出現によって、自分の認知・認識した母親との安定感、自己と母親という二人で完結している世界が破られたときに起きるものです。母子関係が希薄だったり、発達障害など何らかの条件で母親の認知・認識が確立しにくいときには、「人見知り」は起きません。母親であろうと誰であろうと、見境がないからです。

 「初めての信頼できる他者」である母親への認識があってこそ、「人見知り」は起きるものです。ですから、「人見知り」は母親として誇りに思っていいのです。「人見知り」をさせないのではなく、むしろ「人見知り」をしたときにどうしてあげるかが大切なのです。

 大好きな母親に抱かれながら、またやさしい言葉がけをされながら、幼児は母親以外の他者を知っていきます。安心できる母親の腕の中で守られていてこそ、初めての他者、新しい他者に興味を示し、自己の世界を少しずつ広げていくことが出来るのです。

 初めての人との恐怖を、「大丈夫よ」とやさしくことばがけしながら越えさせていってあげましょう。母親と密着している安心な状況であれば、幼児は新しい他者にまず視線を向けることができます。しだいに手を伸ばし、やがては抱かれることも出来るようになります。こうして、幼児の世界は少しずつ広がっていくのです。

 突然なじみのないおばあちゃんに預けられて、「じゃあ、ママ行ってくるわね。バイバイ」と母親がいなくなってしまっては、幼児が泣き叫んでも当然です。まさに、引き裂かれるような思いでしょう。

 母子分離にも同様のことが言えます。(つづく)

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312.好きこそものの・・・(2)

312.好きこそものの・・・(2)

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(つづき)ここでこんなお話をするのは、先日土曜日の授業で、そんなことを改めて認識したからです。

 教室の一人の生徒さん、長年気に入っているアニメがあります。アニメの中のせりふを諳んじてしまうほどです。今ではそのアニメを話題にすることによって、時に不安定になった心理状態を回復させたり、気持ちを切り替えたりすることも出来ます。また、アニメの主人公への感情の移入によって、自らの感情も育まれていっているです。

 今、授業では「人物」をテーマに絵画に取りくみ、粘土では「女の子」を作っています。自分自身を作るつもりで取りかかったのですが、形を作っている間に、その生徒さんの中でその女の子は大好きなアニメの主人公になっていっていきました。

 主人公の名前を口にし、「かわいい」と言いながら制作しています。それも、こちらに話しかけ、同意を得ようとしているような言い方です。ですからこちらも、「ほんと、かわいいわね」と自然に応えます。

 オーム返しがあったり、脈絡のない言葉が飛び出すような傾向のある生徒さんですが、この「かわいい」は自分の気持ちや意を言葉として発しているものです。イントネーションや表情から、それがわかります。粘土成形しながら「りぼん」「赤」と、さらに自分の意向を表現して伝えてきます。髪の毛には、赤いリボンもつけよう、ということです。

 ならば、その主人公を描いてみようと、大きな画用紙での絵画にも取り掛かかりました。絵画でもやはり、「○○ちゃん」と主人公の名前を言いながら。まず、顔のまるをていねいに描きました。首、からだ、手足、顔の部位、といつになくゆっくり(適度なテンポで)納得しながら描いていきました。

 この生徒さん、クレヨンで描いたり、絵の具で塗ることは幼児の頃から好きでした。「うさぎ」「ねこちゃん」「りんご」・・・と描くものへの興味もありましたが、それよりは、クレヨンでとにかく描く、筆を動かしたら色がついた、一部の隙間が出来ることも許さず、完璧に塗りつくす、それが出来上がったら満足するといった傾向のほうが強かったように思います。

 線があれば、とにかくなぞる。テキストの問題文までなぞってしまうほどです。とにかく、「線・形・文字」=「なぞる」、というように反応してしまうのです。

 ところが、その日の描画は違っていました。「大好きな○○を描く」「○○を描くことがうれしい」といった描きようだったのです。「課題にはしっかり取り組む」という生真面目な表情ではなく、本当に心が動き、心の動きが描画となっているといった感じです。

 中等部に進級して、学校での生活も穏やかに行われているのでしょう、これまでの学習の積み重ねなどちょうど良い状況や条件が相俟って、今何かが変わりだしたようです。

 好きこそものの・・・、この大好きなアニメがそのきっかけとなっていることは
まちがいありません。本人の好きなものをご家庭はじめ、周りの方々が大切にしてきてあげたからこその、成長です。

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311.好きこそものの・・・

311.好きこそものの・・・

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 「好きこそものの上手なれ」という言葉がありますが、特殊教育においてはまさにこのことを実感する場面が多いのです。

 「好きなことしかやらない」とか、「自分勝手」とか、「わがまま」というのではなく、気持ちがふっと向いたもののにしか、知的な機能を働かせにくい、というところが発達障害の生徒さんにはあります。発達段階によっては、与えた情報や働きかけが伝わらずに、目の前をさっと通過してしまうような状況も常なのです。

 呼んでも返事をしない、振り向かない、というのも一例です。が、それは、決して無視しているのでも人嫌いなのでもなく、情報が情報として認識されていないのです。一見「自分勝手」に見える行動や対応も、実は本人の意を越えたものなのです。つまり無視する以前に、呼ばれているということ自体に心が反応していないのです。

 しかし、日々の人との交わりや学習の積み重ね、また日常の行動や運動によって、情報化の機能は徐々に増し、対応の幅が広がり、柔軟性が出てきます。その中でも、この「固執」が、脳の機能を育む大きな契機となっているということが大いにあるのです。ですから、そのプロセスにおいては、「固執」とも見えるような「好きなものへの集中」にも上手に付き合ってあげましょう。

 電車、アニメ、お気に入りの絵、はさみで切る、物を並べる、コレクション・・・、「またそれぇ?!」と思ってしまうこともあるでしょうが、その好みの世界を一緒に楽しんであげましょう。

 ここでこんなお話をするのは、先日土曜日の授業で、そんなことを改めて認識するようなことがあったからなのです。(つづく)

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310.料理を楽しむ

310.料理を楽しむ

「知的障害児者、発達障害児者 個性と可能性を伸ばす!」: 造形リトミック教育研究所

 きのうは、祝日・体育の日でした。秋日和の連休を楽しまれたことと思います。

 教室に、「祝日は、わたしが料理をすることに決めています!」という生徒さんがいます。社会人になられてからでしょうか、もう何年か続いているようです。年に何回か、多からず少なからず、家族のために何かを行う、とても良い決まりごとですね。

 この体育の日のメニューは、「しょうが焼き・えのきとジャガイモのお味噌汁」だそうです。メニューの選択や調理には高等部での経験も役立っているようです。家族への配慮もあります、「柔らかいものでないとダメなんです。お父さんの歯が悪くなってしまって、痛くなってしまうからです」とのことでした。

 前もって授業で、このメニューの材料と分量を表にまとめてみました。さすがに経験を積んでいるので、材料は次々に思い浮かんできます。
「豚肉、それと野菜、レタスかキャベツとトマト!レタスがなかったら、キャベツにします!えのき、ジャガイモ、それからねぎです!味噌汁にはねぎ、これを忘れないで下さい!」、とても張り切っています。

 ですが調味料や分量になると、
「しょうが焼きのお味は、何でつけるの?」
「お味?しょうが焼きのお味?・・・お母さんに聞いてみます!」

「お味噌汁のおだしはどうやってとるの?」
「だし?・・・あっ、お湯をわかしてお母さんが袋をひとつ入れます!」

 家族の人数に合わせて、分量を表に記入していくことにしました。
「お肉は?」「・・・?」「200gから300gくらいね」
「レタスは?」「・・・?」「大きかったら、2、3枚ね」
「トマトは?」「6個」・・・「6切れ?ならば、1個か2個、ね」
「しょうがは?」「・・・?」「ひとかけ」「ひとかけって、何ですか?」
「えのきは?」「・・・?」「1パック」「1パック!」
「お味噌は?」「・・・?」「大さじ2杯くらい?」「大さじ、2杯!」
「おねぎは?」「・・・?」「少々」「少々!」

 単位もいろいろであれば、実にあいまいな表現が多いことにも気づきます。料理には、まさに見当と臨機応変が要求されます。

 どちらかと言うと、電車の運賃のようにカチッと決まった数が好きなタイプの生徒さんですが、楽しい料理では、こんなあいまいな数にも対応できそうです。また、「ひとかけ」「少々」、時によっては「お好みで」というますますあいまいな言葉にもじきに馴染んでいくことができるでしょう。

 かつて文章題で「足すのか・引くのか」に多少努力した生徒さんですが、料理は生きた数、相対的な数の経験としての絶好の場ですね。
 

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